『サストロダルソノ家の人々-ジャワ人家族三代の物語』ウマル・カヤム著、後藤乾一/姫本由美子/工藤尚子訳(段々社)
著者、ウマル・カヤムの執筆の大きな動機のひとつは、「欧米諸国のインドネシア研究者によって語り継がれてきた「プリヤイ」解釈への失望感」であった。解説者、倉沢愛子は「プリヤイを一言で表現する的確な日本語はない」とし、つぎのように説明している。「植民地時代にあっては、ほぼ、役人、教員、軍人階級などのホワイトカラー職についている人たちを指した。まだ私企業が充分に発達していない時代であったので、その多くは植民地政庁のもとで働く人たちであった。とはいえ職種を表す用語かと言うとそうではなく、むしろ「それらの職種に就くような人材を生みだしている社会階層」と言った方が適切であろう。植民地時代、そのような職種につくためには、オランダ式教育を受けねばならず、そのオランダ式教育を受ける資格があるのは、プリヤイ階層の子弟にほぼ限られていた。その意味では、プリヤイという階層はほぼ固定的、世襲的なものに近かった。プリヤイの対極にある用語がウォンチリッ(小さな民、の意)で、これは農民を中心とする一般大衆を意味する」。
だが、著者自身、明確に「プリヤイ」とはなにかを述べているわけではない。プリヤイの条件のひとつに、ジャワ語を正確に話すことができる、というのがあるが、辺鄙な村の農民でさえ、正しく話すことができる者がいることを、物語のなかでつぎのように述べている。「その二県の中でもっとも辺鄙なところにある村の住民は、ジャワ語を現在でも上手に話していることを実際に見聞した。所属する社会階層によって複雑に言葉を使い分けなければならず、よく間違った使い方をしてしまうジャワ語を、彼らは十分に正しく話すことができた。一体どこでその純朴な農民たちはすべてを理解できるようになったのだろうか」。「ジャワ語の階層を使い分けることがプリヤイにとって重要、というよりもおそらく最も重要な条件であると考えていたからであろうか。植民地政庁で働くプリヤイにとっても同じなのだろうか。それではプリヤイとは、そもそも何であるのか」。
そして、本書の最後のほうで、「最も誠実で正直で、そして何らの私欲を持たずに家族全員に献身的に尽くし」、「誰よりも正真正銘のプリヤイ」といわれた著者の分身とおぼしき「主人公」は、「君にとって、プリヤイとはどのようなものなのかね」と問われ、「実のところ、私にはいまだに分からないのです」、「私にとっては、それはもはや大して重要な言葉ではないのです」と答えている。
さて、本書の内容であるが、表紙見返しに、つぎように要約されている。「伝統文化の香り高いジャワ島中部の町ワナガリ。村の補助教員となりプリヤイ(エリート階層)の世界に足を踏み入れたサストロダルソノは、下級官吏の娘ンガイサと結婚。この地で、一族の絆を尊び社会に尽くすプリヤイらしい大家族をめざす。オランダ植民地時代、日本占領期、独立戦争を経てスカルノ体制崩壊を招く1965年9月30日事件に至る激動の20世紀。誠実で平穏な家庭に、思いもよらぬ様々な出来事がもちあがる…。影絵芝居ワヤンをこよなく愛し、家族の力を信じて誇り高く生きるサストロダルソノとその一家。一族三代の半世紀にわたる歩みを、家族それぞれの目で綴る現代インドネシア文学の名作」。
本書の共訳者のひとり、後藤乾一と解説者の倉沢愛子は、世界を代表するインドネシア研究者である。そのふたりをして、内部から観たジャワ社会について、本書から多くのことを教わったことをつぎのように述べている。「この物語は、そのような植民地社会の諸制度のゆがみや、しめつけが巧みに描かれていて植民地社会史としてもおもしろいのであるが、さらにプリヤイの生活の内部を巧みに描いていて、これまで単に歴史書で外側から見ていただけの私たちには理解できなかった、彼らのライフスタイルや心の葛藤などについて新しい事実を教えてくれる」。「彼らのライフスタイルは、純粋にジャワの伝統を守ろうとする反面、非常にオランダ化しようとしていたことが分かる。たとえば現在でもジャワの農家へ行くと、一家で一緒に団欒しながら食事をとるというような風習はない。午前中に母親が作っておいたおかずを皿に盛りつけて台所に並べて置き、それを好きな時にとって各自で好きなところに腰をおろし、手で上手にすくって食べるというのがふつうである。「さあ、ご飯にしましょう」などと母親がうながす場面は農民の世界ではありえないのである。しかしプリヤイになったとたん、彼らはテーブルにお皿とナイフ、スプーンをセットして、家族が一緒に食卓に着き、団らんしながら食べる。知らない間に欧米文化に慣らされてしまっている私たち日本人には、当たり前のことに思えるかもしれないが、村人たちから見ればさぞ不思議な光景だったろうと思う」。
ジャワ社会や歴史が、家族の内側からわかるだけでなく、本書は文学作品としても優れている。普通、物語は一人称か三人称で最初から最後まで語られるが、本書全10章それぞれの章は、一家のだれかひとりによって別々に語られる。それぞれの立場、世代などの視点によって、同じ事象でも複眼的に見ることができる。そして、半分の5章は、「家名を汚し、祖母と母の運命をめちゃめちゃにした悪党の私生児であり、養子にすぎない」三代目のひとりによって語られ、初代の葬儀に際して、家族を代表して見送る挨拶をするところになると、グッとこみあげてくるものがある。
日本人として気になるのは、日本占領期がどのように描かれているかである。引退を決意した初代は、つぎのように妻に嘆いている。「なあ、考えてもごらん、私のような年寄りが、毎朝日本の神を拝むために北に向かってお辞儀する宮城遥拝を命令されるのだよ。難儀な話で嫌気がさすよ。イスラーム教徒としての祈りでさえまだ十分できていないというのに、他人の神を崇めるよう命令されるとは。そのうえ今さらほかの国の言語を学ばなければならないだなんて。もう何百年とここで使われているオランダ語でさえまだ十分できないのに、今度はなんとニッポン語を急いで勉強しなければならないとは!そんなことできるとでもいうのかね。無理だろう、おまえさん。私は引退するしかあるまいよ!元来この私はもう隠居すべき年なのに、今後もカランドンポルで働くようにお上から命じられてしまった」。そして、「宮城遥拝の命令に従わないとの報告」を受けた日本人に平手打ちを食らい、屈辱感に打ちひしがれて、つぎのように発して子どものように泣いた。「ああ、神様。このように人から侮辱を受けたことはこれまで一度たりともありません。あの男は私の頭を殴ったのだ、おまえさん、頭を!」。
著者は、「自分の幼少年時の記憶、祖父母や両親の姿、そして自分の体験をもとにしつつ、内外のジャワ社会研究を参考にしながら執筆した」。そして、「アメリカの文化人類学者クリフォード・ギアツの名著『ジャワの宗教』の中で、サントリ、アバンガンと共に定式化されたプリヤイ理解が広く膾炙する現状に対し、著者は「ジャワ社会の内側からプリヤイを理解したい。プリヤイになりたいと願い、そして社会的な上昇を遂げたいと願う人々にとって、その世界はどのような意味づけをされるのだろうか」を問い続け、それには「小説を書くことがプリヤイの生活を理解するうえでより効果的であると考えた」と述べている。
わたしたちが研究対象としているもののなかには、いまだ外からの目を通した理解が支配的なものがある。そして、それは往々にして気づかない。気づいたとしても、それをうまく説明し、反論することができないことがある。そんなときに、小説が有効な手段のひとつであることを、本書は証明している。その小説も、外国人に伝える場合、優れた翻訳が必要で、訳者たちはジャワ社会の深い理解のもとに、その雰囲気が日本人に伝わるようにことばを選んでいる。巻頭の「ジャワ島略図」や「家系図」も、読む助けになっている。年表があったら、もっとよかったかもしれない。ともあれ、この「インドネシアのロングセラー小説」が、的確な日本語訳で読むことができることに感謝したい。