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『掌の小説』(新潮文庫)

01zou →紀伊國屋書店で購入

「期末試験とDeep Purple
 見えるべき風景
 何か違う背景」


小中高と、邦楽はだめで洋楽、邦画はだめで洋画、のような感覚でいて、巷では新宿西口のフォークだ何だというのを横目に、俺はロックだぜみたいな斜に構えたところがありました。ところが、こと文学に関しては、外国文学はだめで日本文学、のようなところがありました。リズム感が違うというか、見えるべき風景が見えないというか、ちょっと違う違和感でした。

年を取るにつれて、邦楽も聴くようになり、邦画も観るようになり、和洋折衷になりました。でも、文章だけは翻訳本には未だに違和感が残り、やはり元から日本語でないと、のようなこだわり?があります。日本人だから仕方がないですけど。

同じ日本語なのに、何でこんなに違うんだろう、というのがまず一つ。三島由起夫は過去のトラウマと才能丸出しギラギラ、林芙美子は貧困で魚の生臭い匂い(シンディ・ローパーも匂いは違いますけど、自分の出発点はpovertyと断言してました)、井上靖はステップを吹く風の音、そして川端康成は才能がありながらのやわらかい日常の日本語。

今でも覚えていますけど、高校の時の現国の期末試験。試験問題を読みながら「何これ」と感化され、しばし窓の外をボーっと眺めてしまったのを覚えています。それが、川端康成の短編「雨傘」でした。その日は、試験期間中なので、お昼で帰宅。でも「今日はもういいや」と帰りに神保町に寄って、さっそく見つけたのがこの「掌の小説」でした。当時、地下鉄の中ではいつも受験用の「出る単、出る熟」みたいな感じでしたが、しばらくはこの「掌の小説」を「眺めて」いた時期がありました。何てきれいな日本語なんだろうって、画集を見る感じで。

ところが、今あらためて読み直すと、ちょっと違う。自分のリズムとかセンテンスとちょっと違う。期待する次の言葉が出てこないで何となく文体に違和感があって、何であの時、あんなに感動したんだろな、とちょっと首をかしげる。それだけ自分がすれてしまったのかもしれないですし。

武道館にディープパープルが来た時、寒い日だったと思いますが、この文庫本を読みながら、横の隙間からかすかに覗けるリハーサルの音を聴きました。切符なんて、まだロックは不良が聴きに行く時代、受験もあり無理な話でした。
ディープパープルとしてのみならず、ライブの名盤として有名な"Live in Japan"(武道館のステージの後ろから撮った有名なジャケット)は、元々日本でのみの限定版で、企画から録音まで全て日本人だけで作ったまさにMade in Japanが、その後全世界で高く評価された作品でもあります。その録音が行われた1972年、川端康成はガス自殺しました。らしくない、いや、らしい最期でした。
1968年、川端康成ノーベル賞受賞(3億円事件もその年)、その後は、超多忙、苦悩に満ちた生活だったのだと思います。

その前に、三島由紀夫ノーベル賞だったという話です。彼の場合、最期の最期まで〆切を守り、ペン習字のような几帳面な原稿を仕上げていたという、それに自分の存在感が満たされずかボディビル、楯の会。そう言えば、団伊玖磨ポップス・コンサートにも出演したようなイメージが残っています。
一方でノーベル賞後の苦悩に堕ちて行く川端。昭和の2大天才作家がいて、現在の日本文学に至るのか。彼らの苦悩を理解しようとして損はないだろうけれど、書き出す内に辛くなる。彼らの目を見ていられなくなる。価値観が崩れて行くのが恐い。やはり、彼らの作品を見て、同じ日本語なのに何か違う背景を感じているだけの方が良いような気がする。徐々に語尾が変る、それがその気持ち。

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