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『キメラ−満洲国の肖像 増補版』(中公新書)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 中国での反日デモは、なにが原因なのだろうか。中国の愛国教育や国内問題の目をそらすためだと、日本人が考えているなら、たとえ反日デモがおさまっても、中国人の反日感情をなくすことはできないだろう。国家間の関係であれ、個人間の関係であれ、一度こじれた関係の修復には、互いが相手に非を認めさせることではなく、自分自身の非を追求して明らかにすることが必要である。

 中国人は、日中15年戦争中になにを失い、日本政府に謝罪を求めているのだろうか。この15年間の日中関係を象徴するものに、1932年3月1日に中国東北地方に忽然と出現し、1945年8月18日に卒然と姿を消した満洲国がある。満洲国を王道楽土、民族協和、安居楽業を謳った理想国家として考える日本人は、今日でもすくなくない。いっぽう、中国では「日本帝国主義が捏造した傀儡政権」で、偽満洲国あるいは偽満と称している。この差が、日本と中国の歴史認識の相違である。本書は、その相違を埋めるべく、満洲国の実像に迫っている。

 著者山室信一は、「満洲国を頭が獅子、胴が羊、尾が龍という怪物キメラと想定」した。「獅子は関東軍、羊は天皇制国家、龍は中国皇帝および近代中国にそれぞれ比」している。ギリシャ神話に登場するキメラは、「口から炎を吐き、大地を荒らし、家畜を略奪して去って」いった。幻想国家満州国は、民族差別、強制収奪、兵営国家といった色彩をもって、「帝国日本」とともに死滅した。

 満洲国では、民族共和を謳いながら「一等は日本人、二等は朝鮮人、三等は漢・満人と区別し、配給の食糧も日本人には白米、朝鮮人には白米と高梁半分ずつ、中国人には高梁と分け、給料にも差をつけた」。中国人・朝鮮人の農民は苦労して開拓した土地を奪われ、一家の中心的働き手を労務者として徴発されて何処とも知れず連れ去られた。そして、国兵法(徴兵制)や国民勤労奉仕法が公布されて国家を守る義務が住民に生じたにもかかわらず、国籍法が制定されなかった満洲国では奇妙なことに国民がひとりもいなかった。

 中国人・朝鮮人から奪った土地には日本人移民が入植し、強力な軍事力を背景に本土では味わえない「安居楽業」を享受した。後に悲惨な引き揚げ体験をするだけに、その落差は大きかった。著者は別の論考で「国民帝国」とことばを使っているが、日本人ひとりひとりが「帝国日本」を支えており、国策に踊らされた日本人移民は犠牲者であると同時に加害者であったことを忘れてはならないだろう。

 本書は、初版出版後、高く評価されて吉野作造賞を受賞した。増補版にあたって、新たに70頁の「補章 満洲そして満洲国の歴史的意味とは何であったのか」が加えられた。若い読者を意識した24の問いに答えるかたちで、満洲国成立の歴史的背景、戦後の影響、そして、いま満洲国を考える意味について語っている。1950年代生まれにしては、趣のある表現を使う文章は、若い人にとってけっして読みやすいものではない。しかし、この補章によって、本文中で理解しにくかったことの多くが、わかるようになることだろう。

 満洲国の出現によって、中国人は国家としての威信と人間としての尊厳を日本人に奪われたと言っていいだろう。戦後、首相となる吉田茂岸信介福田赳夫大平正芳が中国・満洲国とかかわりあっただけでなく、朴正煕、金日成(伝説上の英雄の名)といった南北朝鮮政権担当者が満洲と密接にかかわっていたことを知ると、いかに満洲国の存在が戦後の東アジア世界に大きな影響を与えたかがわかるだろう。

 本書が、反日デモ参加の中国人若者と語る機会があるとき、役に立つ1冊になることに疑いはない。本書を読んで理解すれば、現在の「反日運動」を、逆に日中友好の礎の新たなスタートにすることができるだろう。

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