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プロの読み手による書評ブログ

『Sports Graphic Number PLUS 25th The Pictured Emotions from 1980 to 2005』(文藝春秋)

09number →紀伊國屋書店で購入

「訴える瞬間」

大学1年の夏休み、プロ野球の試合の観戦ツアーをやった。今で言う追っかけかもしれない。後楽園、神宮、川崎はそのまま、そして名古屋、甲子園、と。さすがに広島はあきらめた。お金もなかったし。
大垣行きの夜行で早朝、名古屋について、そのまま当日売りに並ぶ。夕方までずっと。その日の夜は代打柳田の弾丸ホームランに酔った。
試合終了後、そのまま大阪に向かったらまた早すぎるので、また夜行で紀伊半島の外側をまわる。新宮の辺りで夜が明け、朝市場の定食屋に入る。
「そこの行きずりの兄ちゃんは何にする?」
行きずり、と言われて少し嬉しかった。

甲子園に並ぶも、高速の下の日陰ならいいが、昼過ぎには当日券売り場の前は長蛇の列。警備員が「お客さん、もう少し前につめて下さ〜い」と仕方なくつめると、日陰を外れ、大阪の最も暑いジリジリの日差しに何時間もさらされた。

何が好きかって、あのスタンドに向かう時、見上げる出口が明るいのでやや暗く感じる階段を抜けて広がる野球場の全景、空、銀傘(ぎんさん)に広がる「ワーン」という音。これはやっぱり外じゃなくっちゃ。ドームでは味わえない。
デニスクエイド主演の「オールドルーキー」にもあった。階段を駆け上がり、出ると目の前に広がるグリーンの芝生と満員のスタンド。

Take me out to the ball game ♪
子供の頃の憧れ、いつになってもこの気持ちは変わらない。
ただ、年を取った分、感動の深さとベクトルが変った。
動から静、外から内、カラーから白黒セピア、のような。

いつの頃からか、スポーツの写真を見ることが好きになった。夜一人で飲みながら、ヘッドフォンで好きな曲を聴きながら、写真家の渾身の1枚を探す。
「アスリートの肖像」
「煌き(かがやき)の瞬間」
目を見る。後ろ姿を見る。そこに至るストイックな努力と根性(土産屋の置物ような陳腐な表現だが他に思い浮かばず)、そしてその時に発露する気持ち、ある意味エクスタシーを見る。いわゆる忘我に魂が超える。訴える瞬間。

フランスW杯最終予選、前半39分、ゴンゴール、そして中山の目。
アトランタ五輪女子マラソン、自分のことを褒めてあげたい、有森の目。そして走る意味。
猛暑の猛稽古、畳の上に横たわり空(くう)をみる田村の目。
今までに何があったのか、その思いだけでグッとこみ上げるものがある。

正直言うと、この25周年特集号ではもの足りない。
Sports IllustratedやNational Geographicからすると、写真文化に対するわきの甘さを露呈する。しかし、かたや50年から120年近い歴史を持つ雑誌に25年ではまだまだ成人式を終えた程度で、ただ成人式は成人式で初々しいと思えば、日本の甘さを残しながらも、四半世紀という歴史が見えてくる。

1987年11月7日(土)、後楽園球場の取り壊しが始まる前日、最後のプロ野球OB戦が行われた。私はいても立ってもいられず、研究室を抜け出してデーゲームを見に行った。小学校何年だったか、そろばん塾の夏のイベントで初めて行った外野席から見た時の興奮を思い出した。毎年、夏休みの試合の前売りには、渋谷の東急の1階に徹夜で並んだ。蒸し暑い熱帯夜で地べたで何回もゴロ 寝した。

その日の最終戦の勝敗はどうでも良かった。
ネックストバッターズサークルで片膝を落とし、しばしバットを置く長嶋、たたずむ背中。こちらからは見えないが、目は真剣に球筋を追っているに違いない。
「4番、サード長嶋、背番号3」
さあ長嶋の出番だ。この時を待っていた。いや、ずっと前から、いつも毎晩、待っていた。
手でメガホンを作り、少し曇った空に向かい「ナガシマ〜!」と叫ぶ。俺のために打ってくれよな、最後の後楽園なんだから、と思いながら。
周りの観客も皆同じく叫んだ。
「長嶋あ〜!」
ああ、これが野球だよ。
中々上手く行かない毎日のくやしさとともに、涙がボロボロとほほを落ちた。
後楽園球場のあの空はもう2度と見られない。

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