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プロの読み手による書評ブログ

『アンボス・ムンドス』桐野夏生 (文藝春秋)

アンボス・ムンドス

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BGM(Nickelback)

「女性の「凄み」
 見てはいけないもの
 見せてはいけないもの」

「俺が待ってくれと言ったら、あなたは「私にはいつも今しかない」と言って拒んだ」
ドキッとする。

閉店間際のHMV、金曜の夜は心なしか人が少ない。新譜を試聴して歩き、今日 はM.I.A.NICKELBACKを購入した。

・・・

秋になると、早速、来年の手帳とカレンダーが売り出されて、そうこうしてい る内に年賀状が売り出されて、既に鬼は大笑いしている。

我々の業界では今、2007年度の予算要求の議論の真っ最中で…来年ではなく て、再来年の。なので2年後2007年以降の運命は来年2006年暮の国会まで、時 にはその年明けの復活折衝まで、ず〜と長い道のりを不条理にもめげずブラッ シュアップして行く訳です。突然横やりが入って、それまでの努力が全部水の 泡とか、横やりじゃなくても、人事異動があれば、またイチからのやり直しだ ったりしても、そんなのは当たり前だったりする訳です。

何もガツガツして仕事したい訳ではありませんし、研究や教育が本業ですし、 時に海外の友人の予算要求を手伝ったりもしますが、このような感覚、このよ うな業界の鬼笑いルーチンに入れるかが、野球で言えばメジャーとマイナーの 意識の違いみたいな感じなのかもしれません。

このように我々の業界では2〜3年かけて、その先の5年間程度の研究費を申 請して、通れば5年間は暮らせる。通らなければ普通ないしはそれ以下という 現実、そんな綱渡りの生活をしています。

- That's very theatrical, Joe...

- Yeah, I know...

通っても通らなくてもまた先の、さらにそのまた先の5年間を考える。博士号 を取ってプロデビューを30歳とすると、そんなプロジェクトを5〜6回繰り返 すと定年になる、という感覚。イチローだって、1本のヒットに最低2〜3年 はかけてきていると思うし、特に我々の業界では、鬼が笑うどころか、狐につ ままれた捕らぬ狸のような生活な訳です。

2007年から先4〜5年間の将来計画を考える(これを中期計画と呼びますが) ということは自分自身の2〜3年後からさらにプラス5年間分位の人生設計を 考えることになります。これは正直とてつもないストレスです。例えば、思わ ぬところで2〜3年後の自分に対してドラスティックな方向転換をせまられた り、交換条件のような話も出たりする訳で、上層部が変れば話も変わり、総合 科学技術会議の意向はどうなのか、経団連の方針はどうか、担当大臣が何を言 うか、それよりも何よりも誰と誰に何と何の話をしたら良いか、いつ霞ヶ関に 言ったらいいのか、この話はたまたま廊下ですれ違った時の立ち話にしよう、 等と電車の中で私がそんなことを考えているとは車内の誰も全く知らない訳で す。タモリさんの番組のアンケートでそんなことを考えていると私1人だけボ タンを押す感覚です。

でもここに来て、これから50を過ぎても「賭け」に走ってもいいかなと思う自 分がいて、人生投げやりに見えるかもしれませんが、ここまで来ると後10〜 20年で何が出来るかという時間との勝負を考えると「安定を望まない」今まで の全てを捨てても「賭け」に出る自分がいたりします。

入学した時、博士号を取得した時、仕事を始めた時、そして結婚した時とか、 スタートの時点は誰もが横一線、皆一緒に新郎新婦のご入場な訳で、ご祝辞は 皆同じで将来有望な訳です。ところが人生面白いことに、その一瞬先なんて誰 も分からない。どんな展開があるのか、上手く行くのか失敗するのか、会社や 企画がつぶれることもあるだろうし、突然の事故もあるだろうし、体型も変る だろうし、髪も薄くなるだろうし、どんな運命が待っているのか、それに対し て何を用意したら良いのか分からない。

何をもってハッピーとするか、何をもって成功とするかは、その人その人によ って違いますけど、仕事を始めて、結婚生活を始めて、どう成功するか、どう ハッピーになるかは、いつも今の時点では誰にも分からない訳です。ただ「引 きのコツ」っていうか「プロ意識」というか、そんな毎日のちょっとした違い が何年か経って大きな差になることは確かで、スタートの時点で同じでも「う だつ」の上げ下げにかかる運命の力学と、時間とともに絞り込まれて行く世の 中の力学と、を自分の方に引き寄せる、そこが努力と根性と気合い、そして周 りの人にも活力を与える優しさ、かもしれません。

そういう意味では、日常生活の方がもっとドラマチックな訳で、何があるか分 からないし、自分で変えられる部分とどうしようもならない部分とがあって、 でも後者の方が多かったりして。実際、成田空港から電話をして、頭のてっぺ んから血の気が足先の方にサ〜っと堕ちて行く感覚も味わいましたし、ある一 言で体が震えることも味わいました。要は何かというと、明日、または次の瞬 間、自分がどんな状況にあるかは、自分自身でどうにもならない運命でも、で も結局は自分次第ということな訳です。

もっと過激で刺激的な映画とかドラマとかはあるはずです。

ところが本となると、何か自分個人と作家の1対1、日常の風景の中で自分だ けが覗き見していて、自分の頭の中だけが妄想の世界に浸っていて、周囲の風 景と街行く人は日常そのまま、という、ある意味特殊な条件設定、ある意味快 感になっている訳です。

最近は映画とかドラマもDVDとかビデオとかで、ある意味1対1的なところが ありますが、本来の映画館しかり、で、映像を見せることで、既に日常と違う 環境設定が整っているので、ある意味、用意された妄想の世界に安心して没頭 できる訳です。

ところが本は、始めからの前提、与えられた風景がないので、自分の今までの 経験と照らし合わせて映像や妄想を自ら作ると言う、刺激的という意味では、 本の方が上を行くような気がします。

この本は、何て言うか、まずいものを見ちゃったかな、という後ろめたい感じ がして、電車の周囲の乗客や家の中で前を横切る家族達に、私の頭の中の妄想 を見抜かれていないだろうな、とか変な心配をしてしまったりしながら、嫌 (いや)〜な微妙な感じを引きずったまま「ごはん出来たけど」とか言われて 我に帰るのに数秒かかったりします。

作家はスゴイですよね。最後の最後に登場人物を**させてしまう。

考えてみたら、こんなエグイ妄想空間は他にありません。

いとも簡単に無表情に人を**する、作家のサディスティックな感覚、いや、 それ以上の文章力、それも幻覚幻聴をひき起こすような。

登場人物と一緒に取り返しのつかない事をしてしまったという過激な妄想空間 と心理的擬似体験は快感です。

ある時まで、桐野夏生さんを男性だと思っていました。よくぞここまで女性の 「凄み」を表現出来るな、と思っていて、ある時から、女性だと分かり、それ からは、よくぞここまで女性の「凄み」を見せられるな、と思っていて。

それまで長編というイメージがあって、江戸川乱歩賞、推理作家賞、直木賞泉鏡花賞柴田錬三郎賞婦人公論賞、そしてエドガー賞候補という、その遍 歴。

今回の短篇集への「凄みの凝縮」は、今回の作品群に至る桐野夏生さん御自身 に何があったのか、その遍歴を知りたくなる。

Fashion Digger、私は馬鹿な服が好き、という一面も、未だ作品に「全てを出 し切っていない」感じがあって増々期待させる。

http://www.kirino-natsuo.com/

見てはいけないもの

見せてはいけないもの

熱海のルイ子の家に直行する咲子

池辺からの手紙を暗記している浜崎

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「あなたは変ったんじゃなくて、もともと自由な人だったのかもしれないわ ね。それなのに、私ったら違う人だとずっと思ってたみたい」

またドキッとする。

iPodのNINを聴きながら、一人だけ街行く人の流れと反対方向に向かって歩い ている感じがした。今夜は樽臭いアルコールを飲みながら一人無骨なロックを 聴きたい。


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