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『仕事がもっと上手くいく<br> 図解 品よく見せる大人の技術』<br> インプレッション・ワークス(PHP研究所)

仕事がもっと上手くいく<br> 図解 品よく見せる大人の技術

→紀伊國屋書店で購入

BGM(坂本龍一/ウラBTTB (1999))

「emotional landscapes
 they puzzle me, confuse
 then the riddle gets solved
 畏敬にも似たエマージェンシー」

満月の月明かり、遠く銀色に光る碧黒い水面に
イルカのシルエットが見えた

あそこ、観える?

…ちょ、ちょっと待ってくれ、こういう時は頭を整理させてくれ

そして真夜中にホテルを出る

FMから"everyday is exactly the same"が流れ始めた

真っ暗な海岸線

あれから俺達は上手く行っているのか?

…観えなくなってから、だいぶ時間が経ったような気がする

・・・

人生は思いの他、オ−ソドックスに出来ています。

そして思いの他、大人の時間で占められています。

若い時間はすぐ過去になり、その後すぐに大人の時間が始まり、リアルタイムで死ぬまで続くことになります。なので、若い時間は貴重と言えば貴重です が、その後に来る、思いの他に長い大人の時間で上手く行く、つまりスーツを着てからの「うだつ」というのは、それまでの若い時間に上手く行く話とは全く違うと実感します。

要は何かというと、卒業して、我々の業界では大学院まで出て、中には博士号まで取って、普通よりは年が行ってからプロの大人の業界にデビューする訳ですが、早い内に若い生活から大人の生活に切り替えるに越した事はありませんし、いつまでも若い気持ちを維持するのは良いのですが、要は在学中からでも早く「うだつ」ファクターが観えるかどうかということになります。

ところが、大人の時間はかなり真面目でオーソッドックスに出来ていて、それまで学校で勉強してきたことや見聞きしてきたことが世の中の半分にも満たなかったことを実感する訳で、そして結婚すればしたで、それまで世の中の半分しか知らなかったことを実感して、子供が生まれた、家を買った、親が入院し た、と事ある毎に、それまで何も知らなかった自分を発見して行きます。要は、勉強が出来て優秀なことはその後の「うだつ」につながるのだろうかというと、ないよりは良い程度で何分の1かの基礎にはなりますけど、そこは倍々に増える「うだつ」ファクターを実感出来る人か=観える人か否かの方が重要になってきます。そんな「うだつ」ファクターを知ることもないまま人生が過ぎていってしまう人にならないように、そしてそういう人に自分の「うだつ」 を落とされることのないように、上手く見極めていかなければなりません。

私のこれからの人生は上手く行く、私のこれからの人生は幸せだ、と思っても良いのですが、それはもしかして勘違いかもしれないといつもフィードバックをかけなければいけないですし、実は上手く行っていないことにも気がつかず、実はそれはそれで良くて、なので結局は上手く行っていると思う人生で終わるかもしれないのですが、世の中それでバランスが取れてていいのですが、 かという私は、観えていない人は苦手と言いながら、自分が観えなくなってからかなりの時間が経ち、毎日模索しようにもそんな余計な事を考える寸分の時間もなく、でもそんな客観性がなくなったら終わりだと、上手く行っている人を見ては、やっぱり私はまだ上手く行っていないし時間もないし、と鏡を見ながら自分を戒めることしきり、また水ごりを繰り返すのです。

その真面目でオーソッドックスとは、努力と根性を神様は見ているということでもあります。これは本当に見ています。私には特に厳しい。よほど前世で悪い事をしたのか、厳しい試練を与えられている修行の身であることを実感します。誠意を持って対応しなければ、それ相応の、そう、だいぶそれ相応のバチが当たりますし、バチのないアンバランスなラッキーな人生なんてありえませ ん。特にスーツを着てからの「うだつ」とは正にそのままです。

ここで上手く行く場合を「正のうだつ」上手く行かない場合を「負のうだつ」 ということにします。

(理工系的〜)

私もこれまで何百人といわゆる優秀な人材を見て来て「正のうだつ」には予想外の場合がありましたが「負のうだつ」にはほとんどの場合に予想外はありませんでした。この人は上手く行くだろうと思っていると、そのまま上手く行く 場合が多いですが、そうでもない場合、時には上手く行かない場合もあります。どちらとも分からない場合もそれと同じと言えば同じです。当たり前と言えば当たり前です。

でも、上手く行かないだろうという人、つまり「負のうだつ」を感じる人は、 ほとんど例外なく上手く行かない、そんな感じです。

つまり、

「正のうだつ」を感じる→上手く行く、どちらでもない、

            か、上手く行かない、のどれか

 どちらとも分からない→同上

「負のうだつ」を感じる→上手く行かない

ややこしいですけど、もう一つ明らかなことは「正のうだつ」は皆にうつる訳ではなくて、うつる人にだけうつるのですが、「負のうだつ」は人にうつる、 つまりそういう引きの弱い人の近くで仕事をしたり生活をしてたりすると「負のうだつ」はパートナーにうつります。

つまり、

「正のうだつ」→うつる人にだけうつる

「負のうだつ」→うつる

となります。

一般論として「負のうだつ」には共通項がいくつかあります。

例えば簡単な話、大人の挨拶が出来ない人は全くもって「負のうだつ」です。 これは明らかです。では、どこまでのどういう挨拶か、というとこれは企業秘密でもないですけど逆に「正のうだつ」に引きのある人の挨拶は違うということです。メイルとか携帯とかの文化が品を落としつつ「負のうだつ」に拍車をかけていることも事実です。本当に気をつけないと「負のうだつ」はうつるんです。吉田戦車です。

それから「負のうだつ」には潜伏期間があって、それも若い生活の間には表立 ってこないという。この人「うだつ」が上がるのか?というのは、ある意味、 大人の生活になってみなければ分からないものですが、そこは早く見極めるに越したことはありません。

いわゆる優秀でも上手く行かない、というのは、英語が出来てもコミュニケー ションが出来ない、そんな感じで、つまりは英語が出来なくてもコミュニケーション出来る人もいる、ということ。要は優秀どうのこうのは、ベースラインとしてそうであることに越したことはありませんが、要は大人の業界では2の次という。人事課の人はもっと分かるのでしょう。(本当は優秀じゃないとだ めなんだけど、それを言っちゃおしまいよ(寅さん談))

「正のうだつ」の一般論の例は、

覇気、つまりは世に言う「オーラの泉」…もとい、その「オーラ」

陽気、これは陽と陰の陽の方の気

そして、その気を惜しげなく配るgive and giveからの引き

気配りというとそのままですが、気を配るとはこの世の中に気がつく、素直に観える、ということ

この手の本は、ある意味、大人の業界の常識。

実はどの本でも良いし、どの本も含蓄がある。

何故か、上手く、出来る、頭がいい、忙しい、時間、とでも検索すれば、山程出て来る。

ちなみに、ハードカバー、新書・文庫、そして図解、の3種の神器はこの手の 本の最近の常識、というか1回で3回おいしいか1粒300mのようなコンビニにもあって、自分もそれにはまってみるかと買ってみると、同じ新書を持っていたりすることに気がついたりする。

覇気は、時にすれ違うだけでも分かります。

覇気がないとは、そのまま「負のうだつ」で、電車の中でも街中でもどこで も、ドローとした目で「負のうだつ」を発する人は勘弁して下さい。

・・・

戦場のメリークリスマス(1983)」で、たけしの顔がスクリーンいっぱいに映り「メリークリスマス、メリークリスマス」というシーンがある。すると館内に爆笑が広がった。

え〜? 何、この人達・・・

私は腹立たしかった。こんなに恐いカットはないのに、皆が皆笑っている。

カンヌを逃して帰国した大島渚監督は、空港で「まだ早過ぎた」と言ったのを良く覚えている。「楢山節考(1983)」でも良いが、私は「全くその通りだ」 とその時思った。

その頃「観えてるか?」といつも蒼く自問自答していた。

その本当の恐さとは、畏敬にも似た恐さ、エマージェンシー。

時に、観えて、聴こえて、そして匂う。

「観自在」「観世音」の「観」

時に、精神的なバランスの為にフラッとギャラリーに寄る

中庭でお茶を飲んで、ボーと御殿山の空を見る

特設展示のBGMか、遠くからJogaが聴こえてきた

今日は久々に少し観えるような気がした

でもやっぱり自分の「うだつ」には不満だらけだ

all that no one sees, you see

what's inside of me

every nerve that hurts, you heal

deep inside of me

you don't have to speak, I feel


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