『インドの衝撃』NHKスペシャル取材班【編著】(文藝春秋)
「秒針に追われる強烈な生活それでもジェリー・ルイスは人が来ればいつも間抜けな顔をする」
水曜早朝、キューバのC首相の御子息と都内のホテルで朝食を取りながら会談。本人、側近、大使、そして私の4人。キューバの難しさ、科学立国になるには。本物のPB、Power Breakfast。
その前日にインド行きのビザ申請を忘れていることに気付き、大急ぎで書式をpdfで送ってもらい、その水曜の朝に代理店の担当者がホテルのロビーに書類を取りに来てくれるという。8時前の約束なのに、どの人か分からない。入口は別の政府の要人の警備で忙しい。
その水曜の朝は大学で徹夜明けで始発で実家に寄って、30分程でシャワーと着替えをしてホテルに向う。前日の夜は、ある人から1971年のあるブート音源を聴かせてもらい、まさにその原稿を用意していたというシンクロニシテイ。その前の週末は、家で久々にSchool of Rockを観たら、ある人から旅行のお土産にとJack BlackのCDを頂いたというシンクロニシテイ。でもポリス来日は行けそうにない。
インドのビザ申請は時間がなく、パスポートは自宅にあり、私は自宅から遠く離れた大学のオフィスで徹夜で、仕方なく、代理店の担当者は自宅近くの駅まで来てくれるという。女房に連絡して、パスポートはあそこの上にあり、改札口で渡してもらう。代理店の担当者は気づかなかったと恐縮気味。私はオフィスにビザ申請書の記入例をメイルで送ってもらい、pdfに記入、夜中に下の生協でインスタント写真を撮り、翌朝ホテルのロビーで手渡して一式揃ったことになる。
明け方までにその他残務整理、論文チェック、そしてC氏との会談用のレジメをプリントするが、ハイレゾのカラープリント速度が遅く、必要部数4部プリントを仕上げる時間がなく5時になり、自分の分は白黒で、カラープリント3部だけを持ってホテル、いや一先ず実家に向う。オフィスの鍵を閉める時も、まだカラープリントは続いていた。二子玉川で乗り換える前後に仮眠する。
シャワーと着替え後、地下鉄の中で別件を片付け、六本木1丁目か溜池山王か迷ったあげく、アメリカ大使館とそのホテルは溜池山王13番出口というイメージがあり、ところが銀座線の駅を経由するという赤坂見附〜永田町の乗換状態で、結局遠回りだったが、インターコンチ裏の桜坂を登り、来年の富士登山のトレーニングが出来たかと思えばポジティブで良し。
ホテルの会食の後、ある目的である店舗に出向くが水曜定休とのことで、新幹線に飛び乗り、西明石のシンポジウムに向う。西明石からタクシーで駆けつけ、質疑応答をしつつ、明日木曜の講演のppt(パワーポイント)を編集する。懇親会の後、西明石隣りの大久保泊。
木曜早朝、三ノ宮ポートライナーで先端医療センター前に行きセミナー。終了後、昼食取らず隣りの隣りの神戸空港から羽田へ、その後ある目的である店舗に出向き用を済ませ、その後すずかけ台のオフィスに戻り、残務整理、今日はさすがに寝たいと自宅に戻る。無性にロイブキャナンのHey Joeと原田知世の何だったかが聴きたく、アマゾンで購入、ついでにCapital Gのビニル版も購入、いやこっちが本命だったか。
金土は終日お台場でシンポジウム。お台場に来たからにはといつも温泉を横目に見るが行けそうにない。懇親会の後、新橋で飲みましょうと誘われ、ゆりかもめに乗る前に駅のトイレに行ってホームに上がったらモノレールが出た後で、ホームには誰もいなかった。新橋の喧騒では合流するのは無理と思いつつ、次のモノレールに乗る。新橋で降りると人ごみの中に若手の2人がいて「あ〜悪い悪い、待っててくれたの?」「いいえ、皆さんもう行かれました。何か上の方達の話があるみたいで、僕達失礼したんです」・・・ブッチ切られた。次の朝「原さ〜ん、昨日どこ行ったの?逃げるんだから〜」「いやそのトイレに・・・」
シンポジウム終了後、インド出張中に秘書さんが誕生日を向えるので、いつものお店でチーズを幾つか選んでつめてもらう。お勧めのコンテも入れてもらう。ワインはボジョレパーティがあるのでそれ用に少し購入。マルゴは自分用。気にしていた「インドの衝撃」も購入。朝までに読もうとするが、マルゴで寝る。
日曜早朝、朝6時には娘が運転して家族で群馬の実家に行くというので、家族が実家に向う前に、3時半に起きて研究所に行って、一仕事して、勿論来ているであろうインドのビザと航空券を取り、そのまま、車で往復して、6時に娘にバトンタッチすれば良い。ということで、朝4時、駐車場に向い、機械式のパーキングを上に上げたら「車がない」。
「車がない」
今年になって3度目か4度目で、まだ暗い夜空に機械式のパーキングを上げたら「車がない」。さて私は車をどこに置いてきたか、しばし考え、多分研究所だとは思うが、パーキングの薄暗い明かりを頼りに自分のスケジュールノートを開く。そうだ、C氏に会う前日は大学に泊まったんだ。となると火曜日は、そうそう、午前は理事との面談が2件あって、それから秘書さんの車で駅まで出たんだ。ということは、車は研究所のパーキングにあるはずなので、仕方がない、重い鞄とチーズを持って、始発に向う。例によって駅前は、徹夜で飲んだ若者がゾロゾロと始発に集ってくる。いつもの風景。
その後、再び研究所に戻り残務整理、その後夕方、成田、インドへ。
午前2時半、バンコクで韓国のコリーグと合流、ラウンジでストラテジの打合せ。アルコールを飲んでも酔わない。酔えない体調が気になる。月〜水インド、タフなスケジュールはバレー部の合宿の方がまだましだと思う。木曜早朝、デリーから帰国へ、金曜早朝、成田着。
金曜早朝、成田着。ラウンジで30分程でシャワーと着替え。荷物は宅配便に預け、結局成田から直接長野の上田に向う。信州大学午後1時着、講演開始30分前、挨拶しておかなければならない先生に連絡しておくのを忘れたと悔やむ新幹線の中で講演レジメを再編集。上田に来たからにはといつも温泉を横目に見るが行けそうにない。ところが大学に着いたとたんにその先生が出かける所に会うシンクロニシティ。
講演終了後、今日はさすがに寝たい、日帰りと言うか帰国というか自宅に戻る。
土曜早朝、走り込み足りず、12月の皇居マラソンに備え、走り少々。月末の所沢のセッションにも用意が足りず、今日から少し弾きこまねば。今日は行きつけの自宅近くの銭湯に行く。
目が覚めて、今どこにいるのか、どこに向っているのか、何を用意しなければいけないのか、今日はいつか、何曜日か、一瞬考える、ある意味快感の時。
こんな毎日よりももっと凄まじい毎日はあって、ジェリー・ルイスは人が来ればいつも間抜けな顔をする。その時の気分と体調で顔が変わるようじゃ素人。もういいでしょ。どうぞ、そのままで。
研究はどこでやっているのか
分かっている
野心はどこに向っているのか
分かっている
どうもやり残したことが多い
分かっている
それでも、バレーボール大会で研究室を優勝させて、一つ一つ片付けて行く
昨年は最下位の理由を1年間考える
そんなこんなで50代を済ませる訳には行かない
そんなこんなで毎朝水ごりをする
もういいでしょ
どうぞ、そのままで
My Foolish Heartを聴きながら
そんなこんなで毎朝水ごりをする