『弱者の兵法』野村克也(アスペクト)
「例えば
ダニエル・クレイグ 」
例えば
アカデミー賞授賞式に招待され、または何かのプレミア試写会でも良い。黒塗りのリムジンで乗り付け、夫婦でも夫婦でなくても同伴で、男性は女性を女性は男性をエスコートしながらされながらレッドカーペットを歩き、記者のぶら下がりインタビューに答える。ある程度の年になって、30を過ぎて、そういう状況がイメージ出来ない社会人はどうしましょう。
例えば
これは全く極端な例でも逆説でもなく、これは常識で、要はオーソドックスな社会人の見てくれは基本という問題で、一番下世話な話の一つとされがちな見てくれは、実は中身がなければならないもので、そういうオーソドックスな見てくれをイメージ出来ない社会人は中身がなくてどうしましょう。例えば、若い人でも、結婚式の新郎新婦の服装になれば、馬子にも衣装でも、それなりの見てくれに見えたりしますが、それは結婚を通じて、今まで知らなかったオーソドックスなことが観えて気づいたからで、中身が見てくれに一歩近づいたことになりますがどうでしょう。
例えば
上質のスーツを着こなし、オンとオフのスタイルがあり、家族家庭があり、異性に対して魅力的であること。こういうオーソドックスなことに価値がないと思うと、仕事が出来ない、うだつが上がらない。長年つちかわれて来たオーソドックスな常識の範疇にして、如何にしてオーソドックスな常識の範疇が出来、そして如何にそれが大切なことか、それに価値がないと思うことが如何に実力の価値を落としているかということに気がつかなければ、またうだつが上がらないの繰り返しになりますがどうでしょう。
例えば
007のダニエル・クレイグ
ノーネクタイでもジャケットで
時に将来的にもそういうイメージのない人と同伴しちゃだめです
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好き嫌いはあれど野村監督曰く
「人間の最大の罪は鈍感である」と
キャッチだけで買わせる本も珍しくありませんが、久々に来たキャッチです
好き嫌いはあれど紳助曰く
「やめない、皆、中々、漫才を、才能もないのに。やめるための切っ掛けを作ったらなあかん。愛を持って。何で10年で切ってるかって言うたら、20才から30才、M-1を10回出てあかんかったらやめましょうね」と
要は鈍感な人はどうしましょう、と同じです
野村語録から一般論へ
プロの品格、プロの覚悟
社会人の品格、社会人の覚悟
人間的成長なくして技術的進歩なし
成長なくして進歩なし
野球選手は野球選手である前に一人の社会人でなければならない
同伴でレッドカーペットを歩ける社会人でなければならない
スーツに着られず、スーツを着こなす
滑稽だろうが何だろうがその場の雰囲気に飲まれようが何だろうが、オーソドックスなイメージが出来ない社会人はどうしましょう、と「弱者の兵法」に少しばかりヒントがあるような気がします。平台にあるビジネス書をつん読しつつ、ただ、実際には12球団でも優勝するのは年に1チーム、そんな確率でも、オーソドックスを読まない読めない社会人は将来に起こる問題に対して鈍感になりますがどうしましょう。
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私は言い訳は好きではありませんと言いながら、この年末に言い訳がましく、この半年の間、私に何があったかは誰も知る由もなく、家族も秘書も誰も、私以外は誰も知らない。あの夏の血の気の下がる想いから、誰も知らない毎日は、夜空の遥かむこうの人だけは、気づいていたかもしれない。
革命を目的とした行軍は、いつしか行軍自体が目的となり、既にこれは何の為の行軍かも知る由もなく、また行軍に望む。あの象徴的な夏は、今に生きていること、そして、今にどうやって生きるかを考える。
気がつけば、気がつかない人達ばかりでも、私がどこにいて、何をしているのか、実は私自身が分からないでやっている方が上手く行く。分かり始めると上手く行かない。
野村監督の意見には私としても賛否両論でも、教えないコーチが名コーチと言えども、川上監督と西本監督の差を読むと、私は西本監督だと思い、野球人である前に一人の人間であることを厳しく説かなければならない。
要は野村監督曰く
組織はリーダーの力量以上には伸びない
そんな反省しきりの半年に
もう、どうしましょう、とは言わない
Patria o Muerte
以下略