書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『フェイスブック 若き天才の野望<br> 5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた』<br> David Kirkpatrick【著】滑川海彦・高橋信夫【訳】(日経PB社)

フェイスブック 若き天才の野望<br> 5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた

→紀伊國屋書店で購入

「Friends, Lovers or Nothing」


「今は大丈夫なのね?」とKaren Juliet Aubreyは聞く

 Brian Bruce Robinsonは答える

チャイコフスキーは、指揮をする時に必ず手で頭をささえて、頭が堕ちないようにしていたんだ、知ってたかい?」

「俺の庭はどうだい?」とBrianは聞く

「邪魔しないで」とKarenは祈る

「俺は神様を誤解していた、神は70年代ロックの味方だったんだ」

(Still Crazy(1998 UK)から)

 ロサンゼルスからサンタバーバラに向う101(フリーウエイ)は、私は何度も自分をたぐり寄せながら往復した気がする。日が暮れた後、そして東の空がかすかに明るくなる早朝、私は何度も何度も、大学に向かいながら、ホテルに向かいながら、空港に向かいながら、その音(*)を聴きながら、忘れてきたものをたぐり寄せようとした。

 ベンチュラを過ぎると海が見える。何故かいつも、101に向かう405に乗るまでの道を迷うが、後は景色に任せれば目的地までたどりつく。classic rock stationは106.3 "the surf"、電波が届かなくなると100.3 "the sound"、その分、"man on the corner"だろうが何だろうが、日本では絶対にかからない曲が続いて、私があの時ドミトリで一人ひたいを壁につけて聴いていた選曲は間違いなかったと納得させてくれる。

 突然nine inch nailsが流れる。

 ヘッドライトの路面だけが浮かび上がって、紺碧の海の波の音も、時に追い越す車の音も、何もかもが遠く聴こえなくなる。このまま、このまま、その音(*)を聴きながら、自分をたぐり寄せながら、道を外れ、スローモーションで飛び出す衝動を抑える至福の瞬間。

 今年こそは自分を試したくてその音(*)"The Social Network"を持参、車内に流すも基本はHow to Destroy Angelsで、Still I'm Mr. Self-Destruct.

「リバーブが少し強過ぎる気もしたけど、かなり良い出来だった」

 如何にクリティカルな状況にあり、それを如何にTrent Reznorが救ってくれているか、この瀬戸際の攻防は誰も知らないし、私も譲らない。

90年代から、研究室に

・Global School Net/Houseの先駆けCU-SeeMeを導入しようとした話

・それをドライブするWhite Pine社のMeeting Pointのライセンスを購入した話

・それを主張しても実現できなかった話

・私にはそれを主張する才能がなかった話

・授業でContact(1997 USA)を教材に使った話

・Jodie FosterがNetscapeで画像付SNSを使っていて愕然とした話

・自宅にホームステイした米国人高校生の話

・米国の微妙なキャラクタの学生の話

・日本の微妙なキャラクタの学生は、世界トップランキングの大学には入れない話

・QS社世界大学ランキング、Times社世界大学ランキングのそもそも誰がナンセンスなのかの話

・トップランキングの大学に入る微妙なキャラクタが時に世界を変える話

ハーバード大学の学生の話

・ハーバードコネクッションとコネクトUの噂の話

・日本が何も知らないことを知らない話

SNSの重要性を何度も何度も訴えても実感しない組織の話

・その実感しない組織が新しい試みを評価する話

・学生の2極化の話

・学生も、大学も、組織も、社会も、動かない話

・ベンチュラの学会には、そういう目で見れば数パーセントは、そんな微妙なキャラクタの学生がいる話

・それにしても、日本の学生と教員は何も出来ない話

・要は私は何も出来ない話

 ある日本の国際化の会議の最後に、この本を紹介した。

 内容の善し悪しと真偽は別として、こういうことが起きていること自体、日本とはSNS感が違う。学生も、大学も、組織も、社会も、動かない。刺激すべき学生の微妙なキャラクタは2極化され、何れにしても世界のトップがどのように動いているかを読み取らせなければならない。万が一このようなことが日本で起きても、日本の大学当局、そしてAngelsはどのように対処するだろうか、という話。

・日本のベンチャービジネス対策がアメリカとは全く違う話

・パロアルトの対岸のバイオチップバレイを尋ねて分かる話

・それでも、アメリカは手を抜かず、日本はもうキャッチアップしないで良いかもしれない、という話

 この作品を理解する前に言うことではないと、この草稿を書いたような気がしながら、そんな私は、マーク・ザッカーバーグにもなれないし、エデュアルド・サベリンにもなれないし、要は、全く才能のない凡人であって、それで幸せなのではないかということ。要は、私は寿命をすりへらしながら、何もやるすべもなく、ただハンドルを握り、自分をたぐり寄せるしかない、という話。

 日本は知らなくても良いことが沢山あり、一方で、卑下する必要もなく、むしろポジティブに、鎖国時代の恩恵のごとく、また順番が回って来る時を待つ。

Trent

明日も私を助けてくれ


→紀伊國屋書店で購入