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『豆腐屋の四季 ある青春の記録』松下竜一(講談社)

豆腐屋の四季 ある青春の記録

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「テレビに出ることの喜びと恥ずかしさを取り戻すために」

 本屋の文庫本新刊コーナーで、本書が平積みにされているのを見た瞬間、鈍い予感が身体のなかを走った。これは何だか、とんでもなく面白そうだぞ、と。本書について何かの知識があったわけではない。帯に「永遠のベストセラー」とあるが、聞いたこともない。むろん、松下竜一という著者の名前には見覚えがある。私のなかでは、70年代から活躍してきた反公害運動のルポライターといったところだ。その著者の本が、「講談社文芸文庫」という文学臭がぷんぷんするところから出ているというミスマッチに、私は興奮したのだと思う。帯には「貧しさと恋の歓喜を短歌と文に綴った永遠のベストセラー」(鵜呑みにすれば、気持ち悪い本だ)とある。まったく内容を想像できず、ただドキドキして頁も開かずに平台に戻してしまった。実際に買ったのはその10日ほどあとだ。読んでみて、やはりとんでもなく面白かった。

 著者が本書を書いたのは、プロの物書きとなる前、大分県中津市で父親の豆腐屋を継いで生計を立てながら、朝日新聞西部版の朝日歌壇の常連として歌を投稿していた、1967年から68年にかけてのことだ。何の出版のあてもないまま、「小さな平凡な豆腐屋の、過ぎゆく一年の日々を文と歌とで綴ってみようと」決意し、そこから一年にわたって短い随筆を書き継いで行って一冊の本として自費出版された(翌年、講談社から出版されテレビドラマ化されることになるが、書いている最中はむろん分からない)。その数々の短歌と随筆から、彼の暮らし向きが見事に浮かびあがってくるのが素晴らしい。早朝2時、3時には起きて豆腐を作り、一日に4回もバイクで近くの漁港町の豆腐店にそれを卸しに運ぶという、貧しい暮らしの記録である。しかし同時に、愛する幼い妻(19歳)と共に働き、その妻が妊娠して子供を授かる日までの、幸福な生活の記録でもある。

真夜孤りの心おのずと優しくてくどの子蟻ら逃がして点火す

豆腐五十ぶちまけ倒れし暁闇を茫然と雪にまみれて帰る

臨月のかがめぬ妻に靴下をはかせてやりぬあした冷ゆれば

 暮らしのなかから生まれてくる感情をそのまま言葉として定着させたような素晴らしい歌の数々だ。深夜一人で豆腐作りをしているときの孤独感と小さな生き物への共鳴(「くど」は竈のこと)、雪のなかで転倒してせっかく作った豆腐を無駄にしてしまうときの悔しさ、臨月の妻の身体への気遣いなどがそれぞれストレートにこちらに伝わってくる。ちょうど私たちが楽しい気分になって、ふと口笛を吹いてその楽しさをメロディーとして表現して自分の感情を確かめるときのように、ここでは自分の日常生活にちょっとした彩りを与えるために短歌が歌われているように見える。それは制度化された芸術や文学が、いまここの平凡な暮らしから私たちを離脱させようとする超越的な「美」の力を持っているのとは正反対だろう。鶴見俊輔の概念を使えば、「限界芸術」と言ってもよい。だから著者は、取材に来た新聞記者に答えて「ぼくは、自分が文芸をやっているのだとは思いません。ただ、日々の生活記を歌や文の形で残そうとしているのみです。ぼくにとっていちばん大切なのは、日々の現実生活そのものです。それを充実する手段として記録に励むのです。歌人の歌には生活の根が読み取れません」(205頁)と言うのだ。

 

 こうした考え方を持つ著者は、人々の暮らしのなかの生き生きした会話を奪うテレビを憎んでいる。「家庭の夜が、こんなに悲しいものであったはずはない。夜の窓とは、ほのぼのと暖かい家庭の象徴ではなかったか。生き生きと家族の対話と笑い声が漏れ来るものではなかったか。今、窓から漏れ来るのは、テレビの音とそれに反応する無気力な笑い声なのだ。家庭の笑い声はどこに行ったのだ?」(97-98頁)、と。だから著者は、妻がテレビを見ることを原則的に禁じ、できるだけ夜の時間を二人で語り合ってすごすよう努力する。メディア空間に侵略されない、人間の生き生きした自律的な暮らしを守ろうとする。1970年代になって私たちの社会生活がすっかりテレビに覆われていく直前の、美しい抵抗として著者の暮らしは維持されている。

 だが、そうだろうか。本書が素晴らしいのは、メディアによって私たちの日常が空虚化する以前の人間の土着的な暮らしのありようを、限界芸術としての歌と随筆によって描写しているからだろうか。それはおそらく違うだろう。むしろ私が本書でいちばん感動するのは、彼の歌の素晴らしさと暮らしぶりがメディアによって注目され、彼ら自身がラジオやテレビに出演し、新聞記事に紹介され、有名人になっていく過程がここに率直な喜びと共に描かれているからである。騒動は妻の新聞投書から始まる。結婚式のときに私家版として作った夫の歌集が11部残っているのでお分けします、と家庭欄で呼びかけたところ、数日のうちに800通もの応募が来てしまったのだ(夫妻は600部の増刷と100円ずつの徴収で対応することを決める)。そして新聞社やラジオ局、テレビ局などが取材や出演依頼にやってくる。むろん暮らし第一主義者の著者は、「いかに私の歌や文がもてはやされようとも、この羞恥心だけは失いたくない」(204頁)と自分を戒める。だが私はそんな戒めよりも、彼が新聞やテレビに出たことを、親戚がみんなで素直に喜びあっている様子の描写のほうに感動する。テレビを見た親戚から電話がかかってきて「みな、泣いて観たと告げる。とてもよかった、母ちゃんが生きていたらどんなに喜んだろうなあというのだった。」(120頁)

 そう。テレビに出るというのは、そういうくすぐったいような誇らしさと恥ずかしさを孕んだものだったのではないのか。テレビに出た知人や親戚が光輝いて見え、自分までうれしくなって思わず電話をかけてしまうこと。そのようなメディアの輝きがあることを信じることが、人をして慎ましい生活を維持させるのではないか。実際、良く考えれば、著者は最初からただ自分の私的空間のなかで歌を詠んでいたのではなく、新聞というメディアに投稿してプロの選者に採択されることを目的として歌を作っていたのだった。「昭和三十七年十二月十五日から昭和四十三年十一月十日現在まで約五年十ヶ月の朝日論壇に、延べ二百九首入選、内、一位四十二首、二位三十四首です」(314頁)と著者は誇らしげに書く。つまり公的なメディア空間における卓越という輝きこそが、著者の、暮らしに密着した歌を作ることを可能にしていたのだ。著者の厳しい暮らしの支えになっていたのだ。

 

 だから現代の私たちは、本書からメディアに汚染されていなかった時代の豆腐屋の素朴な青春の記録を読み込んで、のんびりしたノスタルジーに浸ってはならないだろう。そうではなく私たちは、機械化やテレビに疑いを持つ著者が、それでも自分の慎ましい暮らしを輝かせるものとしてのメディアを信じていたことに驚くべきなのだ。それに対して現代の私たちは、「しょせんテレビなんて大したことないよ」とすれっからしの振りをするからこそ、つまりはテレビメディアへの憧れと夢を喪失してしまったからこそ、自分たちの暮らしをイメージ化させ、その実質性を失ってしまったのではないか。だから私たちは本書を通して、テレビを見ることを自らに禁じた著者の意図とは全く正反対に、いかにしたら著者の慎ましい暮らしを輝かせたテレビメディアを、再び私たちの手に取り戻せるかを考え直すべきなのだと思う。それが「永遠のベストセラー」と呼ばれる恥ずかしい本をいま読むことの意味だろう。


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