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『知的生産の技術』梅棹忠夫(岩波書店)

知的生産の技術

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「「技術」と「思想」」

ここしばらく日本語ワープロ、いわゆるワープロ専用機について調べていた。ワープロ専用機は世紀転換期を境に相次いでメーカーが生産を止めてしまい、いまではほぼパソコンに吸収された格好になっている。第一号の製品が発表されたのが1978年(発売は翌年)なので、四半世紀ほどの歴史をもつことになる。80年代は、ワープロ専用機の市場が形づくられ普及していった時期にあたり、その過程で、「ワープロ啓蒙書」とぼくが名づけた性格の書物がいくつも出版されている。

この手の啓蒙書は、操作の仕方を教えることを目的としたマニュアル本とは、似て非なるものである。むろん啓蒙書にもそうした操作方法のようなことも書いてはある。だが、それはあくまで表層の一部分でしかない。その真髄は、ワープロの普及啓蒙という「ミッション」をになうという絶対の使命感に裏打ちされた語り口と身ごなしにある。全編を貫くのは、ワープロが、たんに事務効率向上に寄与するにとどまらず、文化的・文明的に真の革新をもたらすものだという不動の信念にほかならない。ついつい、宣教師や一八世紀的知識人といった啓蒙の歴史を連想してしまうのも無理からぬところだ。

ワープロ啓蒙書の言説空間は中高年男性の語りに支配されている。一歩先んじている少数の中高年男性による、出遅れているその他多数の中高年男性のための言説であって、それを支えているのが新書という出版形態である。で、ここでワープロ啓蒙家たちの参照軸となったのが、梅棹忠夫の名著『知的生産の技術』である。

1969(昭和44)年に出版されたこの本のなかで梅棹は、メモの取り方から文章の組みたて方までに言及しつつ、日本語を機械で「執筆」することについて、「ペンからタイプライターへ」と題された一章を割き、自身の遍歴を披露した。梅棹は手書き執筆を嫌ったものの、漢字かな混じりの日本語文は西欧のようにタイプライターで気軽に執筆するわけにはいかなかった。そこで初めのうちは、ふつうの欧文タイプライターでローマ字で文章を書いた。ついでカタカナの活字を搭載したカナモジ・タイプライターに移り、最後はひらかなタイプライターの活用するにいたった。そしてカタカナとひらがなが打てるタイプライターが理想だが、それではタイプライターのキーが収まらない。これを解決する方法を編みだせば一大発明だ、と結ばれている。

ワープロ啓蒙家たちが反応したのはここである。かれらの目には、日本語ワープロの登場はまさにその「一大発明」だと映ったのだ。そして個人で買うにはまだ高価だったワープロを購入し、慣れないキーボードに向かって打鍵法を習得した。そして、住所録とか蔵書目録とかをいろいろと打ち込んだり、ワープロを自前の秘書に見立てたり、メモをならべかえて文章をつくっていく仕方などを享受/教授しつつ、「知的生産」とその啓蒙にいそしんだ。ワープロ啓蒙家たちは、梅棹と問題領域を共有し、それを発展させつつあった。そのつもりであっただろう。

ところが、かれらワープロ啓蒙家たちの期待を裏切って、梅棹はのちに日本語ワープロ専用機を批判する。その論点は、日本語ワープロの普及によって固い漢語をやたら乱発する日本語文が氾濫し、結果日本語の平明化を反動的に助長することになったというものであった(梅棹忠夫『日本語と事務革命』くもん出版、1988年)。

両者は、このように、見事にすれ違ったのだった。

その理由はどこにあるだろうか? 梅棹が「執筆」の機械化を実践するようになった理由をよく読みなおしてみよう。なぜタイプライターか。それには事務能率的な理由だけでなく美学的な理由があるという。前者は手書きより速くて楽という点に尽きる。後者は複雑だ。日本では文字は美的鑑賞の対象であるばかりか、筆跡は人柄を反映するという迷信すらある。少なくとも筆跡に個性は拭いがたい。分身を見ているようで気持ち悪い。だから個性を消すために、「手紙でもなんでも、字を書くかわりに機械をたたく」ことにした、というのだ。

つまり、梅棹の関心が向かっていたのは、タイプライターによって打ちだされてくる文字の脱個性の美しさであり、ローマ字タイプによって言葉の選び方に慎重となったことであり、わかちがちを心がけることによって文体が簡潔明瞭になったことである。すなわち「奇妙なことだが、字を書くための筆墨類としては、タイプライターという、もっとも非伝統的な種類の道具のおかげで、わたしはかえって、日本語の伝統のなかにふかくのめりこんでいったのである」。別の言い方をすれば、梅棹の関心は、タイプライターのうえを素通りしていた。そして、執筆されるべき文章に向かっていた。タイプライターはあくまでツールにしかすぎず、この機械そのものには相対的にさして大きな関心を振り向けてはいなかった。

ローマ字タイプであれカナモジやひらかなタイプであれワープロのかな入力であれ、それがたんに当時の技術的制約のなかで最大限可能になったという意味での「先端的」な実践にすぎないのだとしたら、それはどこまでも眼前のテクノロジーや日本語のあり方を所与の前提とした枠組みのなかにとどまるだろう。多くのワープロ啓蒙家の視線は、テクノロジーに収斂していた。漢字かな変換を可能にする電子的なテクノロジーと、キーボードを打鍵して「執筆」するという身体のテクノロジー、そしてそれら二つのテクノロジーの接続である。かれらはそうしたテクノロジーの「快楽」を唱えはしたが、眼前の日本語文の成り立ちそのものについてはなにもクリティカルな言葉を残していない。その射程の違いが、梅棹と、「梅棹フォロワーズ」たるワープロ啓蒙家とのあいだに横たわる決定的な断層だった。梅棹の実践は、より「合理的」で「論理的」な日本語表記法の確立という志向に裏打ちされていた。だから、ローマ字論やカナモジ論といった、日本語にたいし、その表記そのものに改変の可能性を突きつけていく試みと一体だったのだ。

『知的生産の技術』は、執筆当時の技術的風景が根こそぎ変わってしまった今日でも、なお古びることなく読み継がれている。それを可能にしているのは、梅棹のいう「技術」が、徹底して「思想」と不可分一体となった実践であるからだ。そのしなやかな強靱さが、本書の魅力の源泉を満たしている。

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