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『中国江南の都市とくらし-水のまちの環境形成』高村雅彦(山川出版社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 ハリケーンカトリーナニューオーリンズを襲い、スープ皿といわれる街が水に覆われた。人びとは水の恐ろしさを知らされた。しかし、水は、水と共生してきた人びとには、豊かな暮らしをもたらしてきた。本書は、中国江南の水と密接に結びついた人びとのくらしを、都市空間の構造を切り口に理解しようとするものである。

 中国では国家事業として大量の文書が残され、近代実証的文献史学のもとで土地制度や官僚制といった制度史が発達した。その研究成果によって、皇帝や官僚がどのようにして帝国を統治しようとしていたのかがわかる。しかし、いっぽうで、その制度のもとで、人びとはどのような生活を営んでいたのか、よくわからなかった。それどころか、文献に残されている制度が実際に施行されたのか、施行されても実効力をもったのかさえわからないものがあった。中国史研究では、制度史は発達しても、社会史が発達しなかった理由のひとつがここにある。

 このような状況は、西洋史と対極をなす。中国に比べて王様の権力が弱く、王様が亡くなってもその葬儀をどのようにするのかさえわからないときがあるほど、ヨーロッパでは制度が整っていなかった。中国の制度化を支えた漢字に対するヨーロッパのラテン語は、キリスト教神学のためにあり、王国の制度の発達のためにはあまり利用されなかった。国語の成立も遅れ、近代国民国家の成立の大きな障害になった。そのいっぽうで、地方語による豊かな文化が形成されることになった。庶民のことばで残された地方文書を使った歴史研究からは、すぐれた社会史が生まれた。

 中国史では、庶民の生活実態を知ることができるような文献は、ひじょうに限られている。近年になって文献ではわからない庶民の歴史を、建築や美術、芸能などから読みとろうとする試みがさかんになっている。本書もそのひとつだ。しかし、けっして文献を軽視しているわけではない。著者、高村雅彦は、「現地調査や文献史料の考察に基づき通時的に示すことによって、歴史的な蓄積に支えられながら、鎮独自のまちづくりの手法がいかに確立していったかを解き明かしていく」。鎮は、明末清初に発達した水路網からなるマーケットタウンである。

 本書は、4部からなり、第Ⅰ部で鎮、第Ⅱ部で住宅のそれぞれの成立・形成過程、空間構造・構成を建築学的に考察した後、第Ⅲ部で市場、茶館、宗教施設の舞台などを都市空間のなかに位置づけ、水との結びつきを論じている。そして、第Ⅳ部では、「水と人とくらしの関係を描き出しつつ、水と人のエコロジカルな共生のあり方を探って」、「環境と共生する21世紀」の姿を模索している。

 本書から、鎮には歴史的、地域的にかなり多様なヴァリエーションがあったことが明らかになった。その違いは、社会の盛衰、技術力の発達などによるものもあるが、人びとが便利で快適なくらしを求めてきた結果だということもできる。そこには、制度とは無縁な社会の形成がみえる。「中国の都市は、すべて皇帝のものである」、地方都市もその例外ではない、といわれながらも、皇帝とは無縁に鎮は形成・発達してきた。中華帝国の盛衰・成り立ちはわかっても、そこに住む人びとのくらしがわからなかったが、本書ですこしわかってきたような気がした。しかし、その乖離が充分に理解されたわけではない。中国制度史と社会史の乖離を埋めることによって、全体史が現れ、また違った中国史が出現することになるだろう。このような研究成果が出て、制度史に影響すると、中国史ももっとおもしろくなる。

 本書は、水との関係を中心に都市とくらしを考察しているが、都や小都市からも中国の都市空間を考察してみると、もっと全体像がわかってくる。簡便に理解したいなら、同じ著者が、同じ出版社から同じ年に出版した「世界史リブレット」の1冊『中国の都市空間を読む』を読むのもいいだろう。

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