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『歴史経験としてのアメリカ帝国-米比関係史の群像』中野聡(岩波書店)

歴史経験としてのアメリカ帝国-米比関係史の群像

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 第4章「選挙のアナーキー」は、つぎの引用文ではじまる。


「マヌエル坊やが墓石に座って泣いていた……「どうしたんだい、マヌエル?」「この前の土曜日、父さんがここに来た。でも、ぼくには会いにこなかった」「でも、君の父さんは、もう一〇年も前に亡くなったじゃないか、マヌエル?」声をふるわせて泣きながら、マヌエルは言った。「そうさ。でも、父さんはこの前の土曜日、ここに来て、そして-に投票したくせに、ぼくには会おうともしなかったのさ!」


「これは、一九四〇年代末のある選挙風景を諷した小咄である」と、著者、中野聡は書いて、1949年のフィリピン大統領選挙の不正投票について説明をはじめる。読者は、当然、先の引用文は、フィリピンのことだと思っている。しかし、この小咄は、48年のアメリカ合衆国テキサス州民主党上院議員候補者の予備選挙でのことで、そのとき当選したのが、後に大統領となるジョンソンだと知って、驚くことになる。


 2004年のアメリカ大統領選挙で当選がなかなか決まらなかった原因が、投票者登録制度にあり、「フィリピンと同じ」制度だと気づいた人はいたかもしれないが、「フィリピンの不正選挙の原因が宗主国であったアメリカにある」と思った人は、それほどいなかっただろう。本書では、このようにアメリカとフィリピンが響きあい、フィリピンの不正選挙に本国アメリカで経験を積んだ選挙参謀が活躍するなど、1946年の独立以降も、アメリカがフィリピンに内政干渉した事実を明らかにしている。


 著者は、アメリカ史を専門にしながら、フィリピン史やフィリピン事情に明るく、フィリピンを通してアメリカを、アメリカを通してフィリピンを見る眼をもっている。だから、従来とは違う眼で、アメリカとフィリピンを叙述することに成功している。もうひとつの新しさは、著者が、「後記」で断わっている「主観的な表現は学術書には馴染まないと考える読者も多いと思うが、書き手の位置を明らかにするという意味もあり、本書の性格上やむを得ないこととご寛恕いただきたい」という点にある。著者は、「個別の学術論文ではできないこと、とりわけ、さまざまな人々との出会いと会話から研究と叙述が生まれる経緯をできるだけ表に出したいという思いがあった」という。本書が優れた単行本になっているのは、たんに学術的にだけではない。著者の文章のうまさには、以前から感心していたが、本書ではさらに読者を引きつけるものが加わり、個別の学術論文より、ひとまわりもふたまわりも大きな視点で議論を展開している。専門外の人が読んでも学ぶことが多いだろう。


 本書を時事問題に関心がある人が読んでも役に立つのは、時事問題と歴史のかかわりがわかる事例がいくつもとりあげられているからだ。たとえば在日アメリカ軍基地問題、在イラク外国籍アメリカ兵、アメリカの人種差別問題が、米比関係を通して、よりわかりやすくなっている。


 日本では、在沖縄アメリカ軍基地の撤廃を、1992年に全面返還を実現したフィリピンを例に期待する者がいるが、そう簡単ではないことが本書からわかる。ベトナム戦争終結後、アメリカ側では、「事実上の保護国となっているフィリピンにはそれに足るだけのアメリカの国益上の意義が無いのであり、「アメリカは一刻も早くフィリピンから独立する(自由になる)べきだ」として基地の撤去と米軍の全面撤退、特殊関係を維持するための援助の停止」を訴える意見があった。冷戦終結後、戦略的価値の低下した在フィリピン軍基地は、マルコス独裁体制(1972~86年)の終焉と91年のピナツボ火山の大噴火で、あっけなくなくなった。基地交渉が政治的なものであったことは、「フェイズアウトに一〇年必要だと言っていた」「クラーク空軍基地からわずか四八時間でほぼ完璧に撤収した」ことからも明らかになった。


 超軍事大国となったアメリカが、その兵力を維持する不可欠の存在として、「アメリカのために戦った者」への報酬の保証VB(Veterans Benefits)がある。原則として国籍を問わない福利厚生・優遇措置の対象者は、世界66ヶ国におよんでいる。このVBとアメリカ市民権の取得に期待する外国籍のアメリカ兵は、現ブッシュ政権下でピーク時の3万7000名から減ったとはいえ2万5000名がおり、毎年約8000名が入隊しているという。しかし、フィリピン人はVBから除外されてきた。20世紀初めの米比戦争のフィリピン人補助兵や日本占領下の抗日ゲリラなど、フィリピン人の該当者は多いにもかかわらずである。そこには、アメリカの人種差別がひそんでいる。その差別是正運動を通して、フィリピン人はアメリカという国の本質を見抜いている。著者もその点に注目して、「アメリカ人になること!」の意味を追求し、「アメリカという問題」を考えようとしている。


 本書では、「敗者のアメリカニゼーション」を生きたフィリピン人を通して、「帝国としてのアメリカ」の歴史像の一端が明らかにされた。では、超大国アメリカと小国フィリピンを分かつものは何だったのだろうか。それは、国家試験でトップだったフィリピン人医師が、看護師としてアメリカに職を求めることからも明らかだろう。優秀な人材が集まるアメリカと、流出するフィリピン、その差が現在の国情となっている。しかし、アメリカ国籍を取ったフィリピン人は、けっして祖国を見捨てたわけではない。アメリカニゼーションに希望を求めたフィリピン人は、失望することなく「フィリピン人」であることに自信をもって、「敗者のアメリカニゼーション」を超えようとしている。

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