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『金融権力-グローバル経済とリスク・ビジネス』本山美彦(岩波書店)

金融権力-グローバル経済とリスク・ビジネス

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 石油や穀物の暴騰が、実態経済とあっていないことは明らかである。にもかかわらず、歯止めがかからないのは、「金融権力」がそれを容認しているからにほかならない。その「金融権力」とは何なのかを知りたくて、本書を開いた。


 「本書は、一九七〇年代に始まり、九〇年代に加速化した「金融革命」を解剖し、二〇〇七年、サブプライム問題で露呈したリスク・ビジネスの行き詰まりを明らかにすることを課題としている」。そして、著者、本山美彦は、「金融に秩序を取り戻すために何をすべきかを真摯に問う」ている。


 著者によると、グローバル化の過程で「権力」を握ったのは、アメリカ証券取引委員会(SEC)が1975年に「お墨付き」を与えたNRSROだという。NRSROとは、「全国的に(Nationality)、認められた(Recognized)、統計処理をする(Statistical)、格付け(Rating)、組織(Organization)の頭文字をとったものである。この「NRSROとして認定されている格付け会社というのがくせものである」。SECがNRSRO認定の明確な基準を公表していないにもかかわらず、「シェアの高いNRSROの格付け会社ににらまれてしまったら最後、企業の運命は風前の灯火になってしまう」。


 そして、NRSROににらまれたのが、日本の金融機関であった。「日本への進出をはたしたS&Pとムーディーズが、一九九七年に入って、日本の金融機関の格付けを執拗なまでに下げ、その年の一一月、戦後日本における最大の倒産である山一證券の破綻が起きた。そして、以後、多くの銀行が整理淘汰された。日本の銀行は、格付け会社の力のみによって破綻したのではもちろんない。しかし、九七年以降の、日本の金融当局とアメリカの格付け会社との意見の食い違いは、日本の金融文化とアメリカの金融文化との衝突であった。そして、アメリカの金融文化の体現するアメリカの格付け会社によって、日本の間接金融システムは完膚なきまで叩きのめされたのである」。「モノ作り」を軽視し、「「自由」の美名の下で金融ゲームに走る金融権力」に翻弄された結果であった。


 この金融権力に抗するために、著者は最後の第6章で、いくつかの例をあげて提言をおこなっている。「地域マネー、NPO(非営利組織)銀行、グラミン銀行、バンコデルスル(南の銀行)等々、グローバル経済の犠牲になった地域とその住民の活力を取り戻すべく、地域的な金融組織を作り出そうとする運動」などである。前3者が地域社会と向きあうのにたいして、「バンコデルスル」はラテンアメリカ7ヵ国のあいだで2007年末に設立された新しい原理に基づく開発銀行である。アメリカ主導の金融システムの「従属」から抜け出し、「加盟国が出資額にかかわらず、同等の権利をもつ」「UNCTAD(国連貿易開発会議)の国際金融版である」。


 また、アメリカの金融システムに対抗するという意味で注目されているのが、イスラーム金融である。「イスラム金融の基本は、資金は絶対に寝かせないというものである。資金はつねに生産的に使わねばならない。退蔵は禁止される。生産的投資の機会が奪われるからである。有効に資金が使用されず、遊休化させてしまうと二・五%程度の「ザカート」という罰金が科せられる。それが喜捨である。つまり、貨幣はつねに生産的に動いていなければならないのである。こうして投資が強制的に喚起される。まさにケインズ的世界である。イスラム金融は、間接金融を基本形にしている。非常に多くの取引に銀行が関与している。商品の売買においても、多くの場合、銀行が商品の売り手と買い手との間に入り込む。銀行は売り手から商品を買い、それを買い手に売るのである。売り手には現金が渡され、買い手には支払い能力に応じて、分割払いなどの便宜が銀行によって供与される。買い手が資金不足であっても必需品を入手できるような配慮がイスラムの取引にはなされている。これは、「ムラーバハ」と名付けられる商品売買契約である」。


 人びとが普通の生活をしているかぎり、実態経済はそれほど大きく変動しないはずだ。それが、大きく変動するのは、架空経済の影響が大きくなっているからだろう。問題となっているサブプライムローンも、日本では起こらない。アメリカでは、住宅をもっているものが、ローン返済中のものでも、その住宅を担保に金を借りて生活している。当然住宅の価格が下がれば、住宅ローンも担保で借りた金も返せなくなる。サブプライムローンは、住宅価格の上昇を前提にして組まれたものである。もともとアメリカ経済は、実態以上に金を流通させるシステムで成り立っていた。だから、2002年の会計操作によるエンロン事件の教訓がいかされないで、はるかに大規模な問題になった。著者の言うとおり、このリスク売買を主体とする金融ゲームに走る金融権力を制御するシステムを作らないかぎり、グローバル化が進めば進むほど、問題は大きくなって再発し、「人間の生活を根底的に破壊する」ことになる。


 日本人は、住宅価格が下がっても、資産価値が下がったと嘆くだけで、それほど大きな問題にならないと思っているかもしれない。しかし、問題は、その日本人の資産や貯蓄を日本の金融機関が運用し、それを担保に日本政府は国債を発行し続けていることだ。つまり、わたしたちも知らず知らずのうちに「金融権力」に加担しているのだ。日本人の個人資産が、消えることも非現実的なことでなくなってきている。では、われわれは、どうしたらいいのだろうか。国や金融機関に任せず、生産活動に直接結びつく目に見える投資を考えることだろう。国や金融機関は「リスク・ビジネス」に加担することなく、目的がはっきりした金融商品を提供する必要がある。さもなければ、個人の資産がタンス預金や貴金属になり、死蔵されることによって経済は沈滞化していく。人びとの生活を安定し、豊かにする金融政策をとらないと、経済格差はますます拡大し、社会が破綻してしまう。


 本書で、もうひとつ気になったのは、格付け会社の存在である。いま日本の大学では、評価機構による格付けがおこなわれようとしている。その評価基準が、金融格付け会社のように明確でなく、大局的長期的な視野に立っていないとしたら、大学も破綻した金融機関と同じ道を歩む危険性がある。

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