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『フィリピン社会経済史-都市と農村の織り成す生活世界』千葉芳広(北海道大学出版会)

フィリピン社会経済史-都市と農村の織り成す生活世界

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 「本書は、情報、生産物商品、資本、労働力の連鎖がその範囲を拡大して強化されると同時に、植民地支配とそれへの対応がせめぎあうという世界史的状況に置かれた一社会を分析することを課題とする」。その一社会とは「マニラ地域経済圏」で、「マニラを中心とする都市部とその周辺の農村部となる中部ルソン平野の双方が埋め込まれた社会経済空間を意味する」。


 著者、千葉芳広は、この空間をつぎの3つの視点で理解しようとしている。「第一には、地域のまとまりの基礎的単位をどのようにして認識するのかという問題」、「第二に、上述の社会関係としてのまとまりを異にする各地域が、ネットワークによりさらに大きな地域的まとまりを形成するとの見方」、「第三に、地域的特性としての文化が伝播して、同質的な文化的まとまりとなる地域の範囲が拡張するという見方」である。


 本書は、「序章」、3部6章、「終章」からなる。はじめから1冊の本として構想されたわけではなく、ここ10年ほどのあいだに書いたものを、「序章」と「終章」で意味づけた論文集である。著者は、「まえがき」で各部の内容を、つぎのように要約している。「第1部では、人口成長の動向を踏まえながら、マニラ地域経済圏における労働力移動やエスニシティ・性ごとの労働力編成をみる」。「第2部では、マニラと中部ルソン平野の生産労働を分析する。すなわち、マニラ地域経済圏における労働力移動の背景にある、都市と農村の両地域における労働諸関係の考察を行なう」。「第3部では、マニラ地域経済圏における流通取引の展開を、とくに米の取引およびその市場の展開に焦点を当てて議論する」。


 そして、各部各章での議論を踏まえて、「終章 近代におけるマニラ地域経済圏の変容」では、「2つの視点からみた地域社会」「都市、農村双方における社会的結びつき」「マニラ地域経済圏の時期区分」の3つに整理して、まとめている。


 それなりによく勉強して数々の問題点をあげ、本書で取り扱った事例をそれぞれの問題の解決のために、あてはめようとしていることがわかる。しかし、それがいまひとつ、フィリピン研究や社会経済史研究を深めていくためのものを提供しているようには思えなかった。その理由は、それぞれの研究の核心であるフィリピン革命とその後のアメリカ植民統治や社会不安の温床となった中部ルソン地方の農村社会の考察へと収斂していかなかったためだろう。具体的に、これらの研究の核心に迫っていくと、事例がいっそう生きたことだろう。


 著者が、「あとがき」で嘆いているように、「北海道で東南アジアを研究することの難しさ」が影響したこともあるだろう。「北海道の地で東南アジアを研究することにいったいどのような意味があるのか」、「フィリピン経済史を研究することは孤独との戦いでもあった」という著者が、本書を出版したことを心から喜びたい。本書の出版は、同じように「孤独と戦い」ながら「マイナーな分野」の研究を続けている人びとに励ましを与えることになるだろう。また、「マイナーな分野」の研究は軽視されがちだが、「メジャーな分野」の研究にも少なからず影響を与えていることを力説したい。「メジャーな分野」で当たり前とされていることも、「マイナーな分野」からの素朴な疑問から、見直しのきっかけになることがある。本人は気づかなかっただろうが、著者が「フィリピン研究を曲がりなりにも続けてくることができた」のが、「多くの人々の支えがあってこそ」ならば、著者自身もその多くの人びとを支えてきたことを誇りに思っていいだろう。本書の出版を機に、著者自身の研究の発展とともに、北海道の地で東南アジア研究が発展することを期待したい。


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