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『日中戦争期中国の社会と文化』エズラ・ヴォーゲル・平野健一郎編(慶應義塾大学出版会)

日中戦争期中国の社会と文化

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 8月6日、9日の広島、長崎の「原爆の日」の前あたりから、テレビでは連日、戦争特番が組まれる。この毎年8月に集中して繰り返される報道が当たり前のようになっているが、これらの番組のうち、いったいいくつが国際的に耐えられるものだろうか。日本人が受けた戦争被害を強調することによって、戦争の悲惨さを伝え、反戦を呼びかけるものになっている番組を、日本に居住している韓国・朝鮮人47万、中国人35万、フィリピン人13万(2005年国勢調査)などは、どのように観ているのだろうか。


 日本の国が関係する博物館も同じ傾向にある。1999年にオープンした昭和館、2000年にオープンした平和祈念展示資料館、2006年にオープンしたしょうけい館(戦傷病者史料館)は、補償が充分でない人びとの労苦を中心に戦争の悲惨さを伝えている。昭和館の今夏の企画展は「銃後の人々と、その戦後」、1993年にオープンした東京都江戸東京博物館の企画展は「東京復興-カラーで見る昭和20年代東京の軌跡」で、ともに戦後の日本の「がんばり」を強調し、日本人としての自信と誇りを感じさせるものになっている。ちなみに、江戸東京博物館の常設展示では、関東大震災と空襲があたかも同じ自然災害のように扱われている。


 このような戦争被害にもとづく「反戦」は、繰り返し繰り返し唱えられても、なかなか戦争の抑止力にはならなかった。なぜなら、戦争は正義を唱え、勝つと思うことからはじまるからである。加害者がなぜ、どのようにして生まれるのか、自分自身が加害者にならないためにはどうしたらいいのか。積極的に加害者になった人、知らぬ間に加害者になった人、嫌々加害者になった人、・・・、それぞれ「加害者」となった「被害者」のことを考えなければ、いつかまた正義のための戦争がはじまる。被害者は、「加害者」になった人びとの苦しみを知って、自分自身が「加害者」になることからいかにまぬかれることができるかを学ぶ。大多数の一般民衆にとって、加害者と被害者は対極にあるのではなく、同じ位置に立っている。


 このような戦争報道や博物館展示を観て育ったせいだろうか、学生の多くが原爆、空襲、疎開といった被害者の面でしか、アジア太平洋戦争をみられなくなっている。拙著『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、2007年)をテキストとして授業をすると、学生は一様に加害者としての日本人を知って驚く。「学校教育でもっと教えるべきだ」「日本の戦争報道は間違っている」、あるいは「先生は日本が嫌いですか?」「知らないほうがいいこともある」などと意見・感想を述べる。本も雑誌も新聞も読まない多くの学生が、授業をきっかけに読むようになることもまずない。知識・情報量が絶対的にすくない学生に、誤解や偏見をもたないように戦争を理解してもらうことは至難の業だ。


 今年も多くの戦争特集がある。NHKだけでも、「夏の「戦争と平和」関連番組」特集一覧http://www.nhk.or.jp/war-peace/summer/program03.htmlを見れば、驚くほどたくさん組まれていることがわかる。しかし、世界標準の第二次世界大戦終結の日で、連合軍側の対日戦勝記念日である9月2日には、なにもない。そのような状況のなかで、ぜひとも報道や博物館関係者に読んでもらいたいのが、本書だ。


 「侵略者・加害者」日本にたいして、「被害者」中国が戦時下でどのような社会や文化を築こうとしたのかを知ることによって、「侵略者・加害者」の意味がわかってくる。戦争であるから、軍事、政治、経済といった面は、従来から直接かかわることとして研究されてきた。しかし、総力戦となった第一次世界大戦以降、文化が軍事、政治、経済に勝るとも劣らない重要な要素になった。編者のひとり、平野健一郎は、つぎのように戦時下の文化の重要性を述べている。「生きるための工夫とは文化であり、文化を変えることである。文化を変えれば、社会が変わる」。「人々の、その時その場での悪戦苦闘は、その時代に取捨選択され、集積されて、生き残るための社会制度と文化を創り出す。そのように考えれば、戦時下に創り出された「新しい」社会と文化から、当時の人々が戦争をどのように生きたかを推し量ることが可能となるであろう。これが本書の方法論的仮定である」。


 その仮定を立証するかのような論文が、最初からある。「抗戦期中国国民党の教育政策とその効果」では、戦時教育について、教育部高等教育局局長は、「教育とは百年の大計である。戦時の要請については若干の臨時措置に留めるべきで、根本的に転換すべて(ママ)きではない。百年の大計である教育を中断させてはならない」と主張し、「国防教育とは非常時の教育ではなく、平常の教育である」としたことをとりあげている。当時一握りのエリートであった学生が、たんなる一兵卒として参戦する無意味を説き、戦中も戦後も必要な人材であることを強調したのである。必死の思いで、社会基盤を守ろうとしたことが伝わってくる。


 また、中国人研究者のなかにも、日本軍の残虐行為について、冷静に分析する者が現れていることが、つぎの文章からわかる。「中国での戦争期間中、日本軍は「燃、殺、奪、姦」に象徴される暴行を普遍的に、大規模に、そして残酷に行っていたという特徴があるが、事後的にみて常に一つの問いが生じる。相対的に言って、いったいなぜ日本軍は戦争期間中にかくも残虐なことをしたのだろうか?」その答えは、「戦争……それは私の人間性のいっさいを奪い去った」という一日本兵の証言に凝縮される。


 本書は、日中間の歴史問題をめぐる対立に強い関心と憂慮を示した、もうひとりの編者であるエズラ・ヴォーゲルの呼びかけに、日中の第一線の研究者がこたえるかたちでおこなわれた「日中戦争の国際共同研究」の成果のひとつである。ヴォーゲルは、「日中戦争の研究にあたり次の4つの視点を提示した。①日中戦争における地域政権、②軍事史、③社会と文化、④外交と国際関係がそれである」。本書は、その3番目の視点の下で開催された国際会議に基づいている。すでに1番目と2番目の視点に基づいた国際会議の成果は出版されている。4番目の国際会議は、2009年に重慶で開催された。日本語、中国語、英語の3言語で出版される成果は、日中の歴史問題をめぐる対立を解決する基盤となることは間違いない。


 日中の研究者は、この歴史問題を深刻にとらえた。それは、組織委員長のつぎのことばからわかる。「歴史観の相違は避けられないにしても、共有し得る資料に基づいた歴史的事実の検証と討論は、歴史認識問題をめぐって日中両国が政治的に対立する状況のなかで、研究者に課せられた社会的使命である」。そして、ヴォーゲルの「二つの当事者の間に緊張関係があるときには、第三者に会合を呼びかけさせることが有効なことがあります」という提案から、「両国間の緊張に巻き込まれている度合いが少ない欧米人」が会議を招集した。


 日本が戦場とした東アジア・東南アジアの人びとが経験した戦中・戦後の労苦が日本人に伝われば、どのような状況にあろうとも、大多数の一般民衆は戦争で同じような経験をすることに気づくだろう。同じ認識をもてば、連帯感が生まれ、共通の報道や展示のあり方が見えてくる。そうすると、日本人だけを対象とした報道や展示とはまるで違う、より深くより豊かに戦争を考えることができるようになる。本書を読めば、「反戦」の共通認識が生まれる報道や展示について考えることができるようになるだろう。

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