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『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』吉川利治(雄山閣)

同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係

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 本書は、2009年暮れにタイのアユタヤで急逝した著者、吉川利治の遺稿である。すでに2007年にタイ語で出版され、日本語版の出版に向けての改稿も終わりに近づいていた。


 本書をタイ語で出版するきっかけになったのは、著者がタイの大学に提出されたタイ人の博士論文の審査に加わったことだった。論文のなかに「日本占領下のタイ」という記述が何度もでてきたことに、驚いたのだ。タイでは、「大東亜戦争」という言い方がよくされるが、タイはその戦争の初期に日本と同盟を結んでイギリス・アメリカに宣戦布告した。ところが、戦後のタイでは、抗日運動を担った自由タイの功績が強調され、タイは外交力を発揮して敗戦国になることを免れ、1946年に国連に加盟することに成功した。


 さらに、アカデミー賞7部門で受賞した映画「戦場にかける橋」(1957年)で、戦争中に建設されたタイ(泰)とビルマ(緬甸、現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道が「死の鉄道」として有名になると、建設に従事させられたイギリス人やオーストラリア人などの捕虜の関係者だけでなく、世界中から観光客が「死の橋」や連合国軍墓地のあるカーンチャナブリーなどを訪れるようになった。


 泰緬鉄道という戦争遺跡は、タイにとって重要な観光資源になるとともに、連合国との友好に一役買った。また、ASEANとしてのまとまりが強化されていくなかで、タイもほかの東南アジア諸国と同様の戦争体験をしたかのように錯覚し、さらに近年の中国との関係の深まりから中国の「反日」の影響を受ける者もでてきている。このような背景から、「日本占領下のタイ」という表現が博士論文にもでてきたものと思われるが、著者にとっては見過ごすことができないことであった。


 いっぽう、日本では「日本占領下の東南アジア」という表現が、研究者のあいだでもよく使われ、タイが独立国でアジアで唯一の日本の同盟国であったことを無視するような記述がまま見られる。たとえ、日本側でもタイ側でも、事実上、タイは日本の占領下にあったようなものであったと感じていた者がいたとしても、日本政府や日本軍はほかの東南アジア諸国・地域と同じようにはできなかったはずだ。その著者のおもいは、本書のつぎの最後の文章にあらわれている。「日タイ同盟を結んだ以上、日本軍もまたタイの主権を軽々に蹂躙することができなくなった。他の東南アジア諸国と同様の調子で、“日本占領下のタイ”という表現を、外国や日本の専門家が安易に用いているのを読むとき、果たして正鵠を射た表現であろうか、という疑問を禁じ得ない」。


 そして、タイが独立国で、日本と外交関係があったからこそ、タイ国立公文書館には、タイ語文書だけでなく、日本が提出した日本語の文書が残されている。その両国の資料を駆使することによって、本書は書かれた。


 タイ語版は、タイで高く評価された。そのことは、日本語版にその訳が掲載されたタンマサート大学元学長チャーンウィット・カセートシリの、つぎの「推薦文」からも明らかである。「本書は四章からなり、日本がタイを同盟国として関係を取り結ばねばならなかった理由や必要性について言及し、この同盟関係が日本側の政策に合致していたのかどうか、合致していればどのように合致していたのか、また五万の兵力の日本軍がタイに駐留していたときに日本は条約や協定に従ってなにをタイに要求したのか、タイはそれに応じたのか、独立と国家の威信を維持するためにどのような「策略」をとったのか、などを明らかにしている」。「本書で考察されているこれらの点は、第二次世界大戦期の知られざる本質であり、…第二次世界大戦期のタイ日関係を再検討するうえで学術的で非常に高い価値を有するもので、この時期の両国関係の要点の理解を促すものである」。


 アジア太平洋戦争について書かれた日本語の書籍の多くは、外国人が読むことができない。もし、これらの日本語の書籍が日本人だけに通用する論理で書かれているなら、歴史認識を共有することは不可能である。本書のように、日本語とタイ語で出版することによって、共通の基盤のうえに歴史を語ることができるようになる。著者は、歴史的事実は事実として理解することで、タイと日本の友好関係が深まると信じていた。そのおもいを、行間からぜひ読みとってほしい。

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