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『東京裁判-性暴力関係資料』吉見義明監修、内海愛子・宇田川幸大・高橋茂人・土野瑞穂編(現代史料出版)

東京裁判-性暴力関係資料

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 「本資料集は、極東国際軍事裁判(以下東京裁判と称す)において、国際検察局(International Prosecution Section, IPS と略)が、日本軍の戦争犯罪を立証するために準備した証拠書類(公文書、宣誓供述書、尋問調書、未提出証拠)中から、性暴力関係の事項を含む関係資料を収集し、編集したものである」。監修者同様、まず「本当に根気のいるこの仕事」をおこなった4人の編者の「多大なご努力に感謝したい」。


 本資料は、2000年12月に東京で開催された「日本軍性奴隷制」を裁く「女性国際戦犯法廷」をきっかけに集められた。この「法的拘束力をもたない市民による「法廷」」は、「裁きによる被害者の尊厳回復」「裁きなくして和解なし」の理念のもとに開かれ、被害者をはじめ世界から多くの市民が参加した。だが、編者のひとりである内海愛子は、「「法廷」を準備する過程で、東京裁判・BC級戦犯裁判が性暴力をどのように裁いたのか、先行研究を渉猟したがほとんど研究」がないことに気づいた。


 「女性国際戦犯法廷」の冒頭で、検事役を務めたセラーズは、「この「法廷」は東京裁判の再審理である」と述べた。そのため、東京裁判で「性暴力にかんする審理過程の調査を行わなければ」ならなくなり、東京裁判の「『速記録』を読み、書証を調べ、資料リストの作成に取り組みはじめた」。しかし、そのリストは「法廷」に間にあわなかった。そして、10年後「改めて東京裁判が性暴力をどのように裁いたのか、法廷に提出された書証と証言をまとめた」のが、本資料集である。


 資料集の問題として、内海は「あとがきにかえて」で、つぎのように述べている。「中国やフィリピンの検事は、自国民への戦争犯罪の追求に力を注ぎ、住民虐殺や性暴力に関連した多くの書証を提出している。オランダやオーストラリアやイギリスやフランスの検事も、捕虜や民間抑留者など、自国民への戦争犯罪を追求していた。法廷審理の東南アジア段階では欧米植民地統治下の住民にたいする日本軍の戦争犯罪の書証も数は多くはないが、提出されている。だが、検察が追求しきれなかった戦争犯罪も多い。性暴力に関連する書証はリストにあるように中国、フィリピン段階に比して東南アジア段階の証拠数は少ない。これはフィリピン以外の東南アジアで性暴力が少なかったことではない。検察が追求しきれなかった、あるいは十分に取りあげきれなかった戦争犯罪の一つに、これら植民地住民の被害があったのではないのか。「慰安所制度」についてもオランダ人女性が被害を受けた「スマラン慰安所」事件などの書証は提出されているが、インドネシア人女性が被害を受けた事件についてはほとんど取りあげられていない。また、朝鮮人女性がいた「慰安所」に関する書証はまったくない。植民地支配が審理の対象からはずされたこととも関連して、朝鮮人、台湾人女性への性暴力は、東京裁判では審理されていない。資料リストはそのことを示している」。


 本資料集には、編者4名による「東京裁判と性暴力-解説にかえて-」が付されている。その目的は、つぎのように説明された。「先行研究の問題点をふまえ①弁護側文書に含まれる性暴力関係記述も含めて審理過程の検討を行うこと、②東京裁判の全審理過程を検討対象とし、法廷が日本軍の性暴力をどこまで裁いたのかを明確化すること、③性暴力関係事件を残虐行為に関する証拠全体の中に位置づけ検討することの三つを重視しつつ、日本軍の性暴力が東京裁判において如何に認識され、裁定を下されたのかを明らかにすることとした」。


 そして、つぎのように結んだ。「元日本軍「慰安婦」による告発と責任者処罰の動きを受けて、性暴力が東京裁判でどのように審理されたのか、「法廷」を準備の過程で検証する試みが始まった。本資料集の作成もこの「法廷」準備の過程で始まった作業である。それまで「東京裁判と性暴力」が研究課題とならなかった背景として、戦争責任研究におけるジェンダー視点の弱さも指摘された。現在、こうした視点からの戦争犯罪研究も進んでいる。戦時性暴力の実態解明、なかでも日本軍「慰安婦」問題に関するものでは、日本軍「慰安婦」の歴史的展開過程や政策としての日本軍「慰安婦」制度の構築・展開における日本国家の指揮命令系統、また植民地や占領地での日本軍「慰安婦」制度の実態、軍隊の構造と兵士の男性性に着目した、「軍隊と性暴力」に関する研究などがある。また、「戦犯裁判と性暴力」の視点からは、ニュルンベルク裁判など各戦犯裁判における性暴力の位置付けが明らかにされた。近年、研究はさらに進み、現代の軍隊と性暴力、特に朝鮮半島における性暴力に関する共同研究も行われている。ここに紹介しきれない多岐にわたる研究が、研究者だけでなく活動家、弁護士、ジャーナリストらによっても取り組まれている。本資料集も、日本軍「慰安婦」問題が提起した新たな視点のもとで、東京裁判を問い直す試みの一環として編さんされたものである」。


 関係者がつぎつぎと他界していくなか、東京裁判自体が裁かれる対象になってきている。そこで裁かれるのは、日本の戦争犯罪だけでなく、近代の戦争そのものであろう。その近代の男性性に眼を向ければ、ジェンダーが近代の戦争犯罪を裁く有効な視点になる。だが、近代は女性を一人前の「人間」として扱わなかったがために、残された資料は少ない。それだけに、本資料集はひじょうに重要なものになる。改めて、利用しやすくまとめてくれたことに感謝したい。

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