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『戦後日本=インドネシア関係史』倉沢愛子(草思社)

戦後日本=インドネシア関係史

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 本書を読み終えて、「引き続く過去」ということばが浮かんだ。しかし、問題は、2国間関係のいっぽうのインドネシアの人びとがそれを重くとらえているのにたいして、もういっぽうの日本の人びとの多くがすでにまったく意識していないか、その意識を「なきもの」にしようとしていることである。著者、倉沢愛子は、その意識の違いを過去の問題としてではなく、今日さらに未来の問題としてとらえている。


 本書は、「序」で「歴史的背景」「本書の概要」「筆者の主張と問題提起」「先行研究」が要領よくまとめられ、その後具体例を7章にわたってあげて、理解を深められるようになっている。そして、「終章 インドネシアにおける対日歴史認識」で、「引き続く過去」がインドネシアでどのように受け継がれているのかをまとめている。


 著者は、「序」の冒頭で、「本書は、「大東亜」戦争終結以後の日本とインドネシアの関係を、広い意味での戦後処理という観点から、「戦争」の問題を常に念頭に置きつつ、また戦後の新たな関係への移行過程を踏まえつつ考察したものである」と述べている。そして、「本書は、タイトルに国家と国家の名前を冠しているが、国際関係論や外交史ではなく、できるだけ両国、とりわけインドネシアの内政問題や社会変容、さらには国家関係では見えてこない、歴史のアクターとしての「人間」(「人物」と言うよりは「人間」)にも焦点をあてることを目指している」とし、具体例としてつぎの3つのトピックに分けて考察している。「その一つは、戦争によって移動(招集、抑留、連行その他)させられた人々の、戦争直後における帰還や残留にまつわる諸問題と、その後、彼らが定住した社会における立場や役割の分析などである」。「第二のトピックは、日本が戦争によって被害を与えた対象(国家、社会、個人)への償いの問題である」。「第三のトピックは、戦争と賠償を引きずっていた戦後の日イ関係が、スハルト政権の誕生により人脈的にも新たな局面へと移っていく過程でどのように変化していったのかを、日本の企業進出、対日批判そして反日暴動(マラリ)(一九七四年一月)などを軸に分析する」。


 これら3つのトピックを論じるなかで、著者が主張し、問題提起としたのは、つぎの4つである。「ひとつは、戦後間もない時期(一九四五年から一九五八年頃まで)の日イ関係は、両国とも第一義的な国益そのものが明確でなく、混乱と試行錯誤の連続であったのではないかということである」。「第二の主張点は、やがてその混乱と試行錯誤のなかからも、最終的な路線が徐々に明確になってきたこと、そしてそれはインドネシアにとっては脱植民地化の徹底(オランダとの全面的対決)であり、日本にとっては東南アジア重視政策であったということである」。「第三に、少なくとも一九六〇年代中頃までは、戦前・戦中からの人的ネットワークの連続性が強く見られ、これが公的な政策決定に少なからぬ影響を与えていたのではないかという点である」。「第四に、「戦後」は本当に終わったのか、という問いである」。


 この第四の問いにたいして、著者は「結論にかえて」で、つぎのように「終わっていない」と明確に述べている。「これは微妙な形でインドネシア社会に生き続けている。確かに戦争の記憶を持たない新しい世代は、日々の生活のなかで経済大国としての日本のプラスのイメージを膨らませて育ってきた。日系の子供たちがその血筋をできるだけ隠そうとして過ごした一九五〇年代、六〇年代と比べて、今は日本の血を受け継いでいることをむしろ誇りにする子供たちも多い。一方で、戦争の被害に遭った当事者たちが年齢を重ね、一人二人と姿を消してゆき、戦後補償問題は立ち消えになりつつある」。「とはいえ、その子孫たちはまだ複雑なわだかまりを持っていることが少なくない。両国の当事者たちのあいだで、かつて一度も、問題をさらけ出して「和解」のための積極的な努力がなされなかったことにより、あたかも潰瘍を残したまま傷が癒えたときのような後味の悪い回復しかなされなかったのである。また、学校の歴史教育の場では依然として、〝残虐な日本軍政〟という言説が語り継がれている。その教科書は、改定のたびに感情的な記述からより客観的な記述に移りつつあるものの、まだ基本的な論調は不変である。それは「歴史的事実」として恐らく変わることはないだろう。日本にとって戦後は終わったようであるけれど、インドネシアにとってはまだ終わっていないのである」。


 「まだ終わっていない」から、インドネシア政府は、日本の国連安保理事会の常任理事国入りの決議に際して反対に回ったのであり、「日本ももっと大人になって、歴史から学ぼうという姿勢を持てば」、インドネシアの人びとも政府も「引き続く過去」へのこだわりを捨て、新たな日本との関係を築いていこうとするだろう。「引き続く過去」に無頓着な日本人は、つぎのインドネシア人の警告を重く受けとめなければならないだろう。「今の日本政府があの戦争は崇高なものであり、日本にとって不可欠な戦争だったと考えているなら別だが……。もし日本がそのように考えているのだとすれば、われわれも考え直さなければならない」。もはや、「経済大国の脅し」で、過去を不問にすることはできないことが、本書から伝わってくる。

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