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『資源の戦争-「大東亜共栄圏」の人流・物流』倉沢愛子(岩波書店)

資源の戦争-「大東亜共栄圏」の人流・物流

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 「本書を通じて訴えたかったことは、住民にそれだけの犠牲を強いて実施した経済施策は、全く現地の実情や民生の向上などを考えず、そのために意図せざる人的被害を現地の社会にもたらしたということ、そしてそれだけの犠牲を強いて実行した資源取得政策が、日本の目的にさえかなわなかったこともあったということである。どこに怒りをぶつけたらよいのか分からない戦争の理不尽さ、資源の無駄遣いを具体的に指摘することを、本書は一つの目的としている」と、著者倉沢愛子は「序章 「大東亜共栄圏」の人流・物流」を締めくくっている。


 東南アジアの地域研究を専門とする著者は、その序章で、戦時期の日本経済史研究を高く評価し、「本書が目指すもの」をつぎのように語っている。「戦時期の日本経済史研究の蓄積は非常に厚く、日本がどのような経済的戦略で戦争を遂行し、何がうまく行かなかったから戦争経済が破綻したのかについてはすでに語りつくされている感があり、筆者がその学問分野に直接貢献できることはおそらく何もない。したがって、東南アジアの地域研究者としての筆者にできることは、こういった日本の戦時経済政策の分析を、現地の社会の状況分析と突き合わせていくこと、日本があるいは「大東亜共栄圏」全域がその時その時に置かれていた状況をできるだけ理解して、日本の政策決定や経済動向を東南アジアにおける推移と結びつけて語ることであろうと考えた」。


 そのために、著者は、「これまでの研究の多くはインドネシアに関するもので、フィールド調査の成果をもとに村落社会の住民の視点で歴史を再構築することに主眼を置いてきた」ことに加えて、「本書は、大胆にも専門外で、しかもフィールド調査を踏まえていない地域(マラヤ、シンガポールビルマ)にまで守備範囲を広げた」。「あえてそのような無謀なことをしたのは、「大東亜共栄圏」内の他の地域をも視野に入れないと、物資や労働力の「相互調達」と「移動」が前提となっている資源の問題は十分に解明できないとの考えからである。とはいえ、地域的な守備範囲は、インドネシア、英領マラヤ、シンガポールビルマに限定された。それは、現地での聞き取り調査か、一次資料(文書館資料)へのアクセスが可能であった地域のみを対象にすることにしたためである」。


 本書のための聞き取り調査は、著者が30年ほど前に集中的におこない、その後断続的におこなったもので、文書館調査はここ数年、イギリス、オランダ、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどで精力的におこなったものである。庶民から直接聞き出すだけでなく、「庶民の生活を多少なりとも描き出した諜報レポートや住民の尋問レポートなど」から、「民衆が生きていた当時の社会の土の匂いや空気の匂い」を伝えようとしている。本書は、4章からなり、「労働力、食糧(コメ)、商品作物、石油などコモディティごとに章・節を立て、それぞれに対する日本側の政策を論じ、現地の状況を手もちの限られた情報で分析」し、「できうる限り「土の匂いのする」記述を試み」ている。


 本書の副題に、「大東亜共栄圏」が使われている。「南方共栄圏」ということばもある。その違いはなんだろうか。著者は、「あとがき」をつぎのように書き出している。「日本は一九四一年一二月、日中戦争継続のための資源確保を目的として東南アジアにまで戦火を拡大した。資源の豊富なインドネシア、マラヤ、シンガポールなどで、その獲得をより確実なものにするために日本が選んだのは、「軍政」という直接支配であった。これは、「作戦終了までの一時的な統治」という本来の語義を越えて強い権力を行使するもので、「公式帝国」(略)に近い。つまり、ナショナリズムの隆盛を受けて満州国や中国の占領地で行われていた「非公式帝国」型の統治から見ると一歩後退で、植民地支配に否定的になりつつあった当時の世界の潮流に逆らうものであった」。管見のかぎり、「大東亜」ということばは、一次資料では意外と使われていない。「南方」のほうがはるかに多い。このことは、著者が指摘しているとおり、「大東亜」を一体と見ていなかったためかもしれない。


 同じく「あとがき」で、著者は「住民を飢餓状態に追い詰めながらも強制的に供出させたコメなどが、輸送力不足のために現地で投棄されたり、倉庫に眠ったまま腐るという事態を生じさせた」と述べている。この事態は、第一次世界大戦時にも起こった。輸出用商品作物栽培が普及したジャワでは、すでにコメは自給できず、フランス領インドシナやイギリス領ビルマから輸入していた。それが、ドイツによる無制限潜水艦作戦などの影響で船舶が不足し、輸入できず深刻な食糧不足に陥った。その経験が「大東亜戦争」にどのように影響したのか、第一次世界大戦時とのかかわりで日本占領下のジャワ農村社会を考えることもできるだろう。


 このような課題は、著者が充分に認識しているため、つぎのように続けている。「本書は、そのような基本的な歴史理解に基づいたうえで、東南アジアの現地社会に根差した具体的な事例をできるだけ多く取り上げ、日本経済史研究者による戦時経済研究につなげることを目指した。扱った地域に偏りがあり、カバーしきれなかった経済のメカニズムや社会の諸相も多々ある。また、東南アジアの研究者たちの成果も十分取り込んでいるとは言えない。したがって、これが研究の集大成であるなどとは決して思っていない。むしろ、今後さらに筆者自身、あるいは若手の研究者たちが発展させていくための入り口を提示したものだと思っている」。


 本書を、東南アジア側に偏りすぎているととらえる読者がいるかもしれない。著者が「民衆が生きていた社会の土の匂いや空気の匂い」にこだわるのは、日本に占領された民衆の目線を大切にしたいと思っているからである。偏向した記述が多いとして教科書検定基準を見直す動きがあるが、それは東アジアの若者の交流を活発にしようとする平成19年に当時の安倍首相のときにはじまったJENESYS(21世紀東アジア青少年大交流計画プログラム)などと矛盾することになる。日本の占領下にあった国や地域の若者は、学校教育だけでなく、家庭や社会で日本がなにをし、人びとがどう思ったのかを学んでおり、そのことを知らないで日本側に偏った学校教育を受ける日本の若者との交流が深まれば、当然その認識の違いの大きさに気づき、日本/日本人にたいして不信感を抱くことになり、逆効果になるおそれがある。日本の伝統文化に誇りをもてるようにすることは、もちろん大切なことであるが、国際交流がさかんになるなかで、かつての日本がなにをしたのかを相手目線で知っておくことも交流の深まりと継続のために大切なことである。歴史に謙虚に向き合うことが、日本人としての自信と誇りにもつながることがわかるような歴史教育を考えていかなければならない。

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