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『帝国日本のアジア研究-総力戦体制・経済リアリズム・民主社会主義』辛島理人(明石書店)

帝国日本のアジア研究-総力戦体制・経済リアリズム・民主社会主義

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 日本のアジア研究は、現在問題となっている歴史認識など近隣諸国との関係改善・強化に、あまり貢献していないようにみえる。それはなぜなのか、戦前・戦中からの連続性、非連続性をもって語らなければ、わからないのではないかと考えていた。その答えの一端がわかるのではないか、そんな期待を抱きながら、本書を開いた。


 本書は、「板垣與一(一九〇八-二〇〇三)の戦時期・戦後の歩みを追いながら、社会科学の戦時動員、植民地秩序と国民経済をめぐる問題、戦後における日本・アジア関係の再編とアジア研究の再建、冷戦下の文化政治と日米関係といった問題を議論」している。


 その目的を、著者、辛島理人は「第1章 帝国日本の貫戦史」の冒頭で、つぎのように述べている。「本書の目的は、社会変革を志向した経済学者たちの戦時・戦後の思想と行動を描くことである。彼らは、軍部に動員されながら戦時期に帝国日本の再編を試み、戦後に日本・アジア関係とアジア研究の再建に尽力した。そして、国家が国民経済を管理すべきであるとし、社会科学者は政策形成に貢献すべきであると考えていた。彼らは、政治的な敗北に見舞われたものの、政府のブレーントラストや研究プロジェクトへの参加を通じ、日本の対外関係や国内体制を変えようとした」。


 そして、つぎの3つの課題が、本書で取り扱われる。「日本とアジアの関係において、知識人はどのような役割を果たしたのか。彼らのアジア解放の思想は日本のアジア侵略とどのような関係にあるのか。戦時期にみられた彼らのアジア関与は、戦後の日本・アジア関係にどのような影響を与えたのか」。


 これらの問いに答えるため、「本書では、社会科学者・板垣與一の政治的・知的な歩みを検証し」、「彼の言説に焦点をあてることにより、日本の知識人、特に経済学者が、一九三〇年代から五〇年代に日本・アジア関係をめぐって軍部、政治家、実業家、そして官僚とどのような関係を切り結んだか、さらには戦後日本の文化政治に影響をあたえたアメリカの知識人や政府関係者といかなるやり取りをしたか、を検証する。また、戦後のアジア研究の制度化をもたらした社会科学者による政策形成への参加と国家による知識人の動員という問題も議論されることとなる。板垣が深く関わった、帝国日本再編をめぐる戦時期の議論、軍部が組織した研究活動、戦後の日本・(東南)アジア関係の再建に注意を払い、そして、日本・アジア関係にまつわる戦後の学知や視座が、制度的にも知的にも、戦時下にみられた政府の変革を志向する知識人との間にあった関係に立脚していることを明らかにする」。


 本書のキーワードのひとつに「貫戦史」がある。著者は、この時代区分を「日本・アジア関係や日本におけるアジアに関する知の歴史について議論する」ために採用した理由を、つぎのように述べている。「アンドリュー・ゴードンは、一九二〇年代から六〇年代、特に三〇、四〇、五〇年代をつなぐ「貫戦史」という時代区分を提唱している。ゴードンによれば、「貫戦期(transwar)」は一九六〇年代に「戦後」へと移行するが、一九六〇年代の「高度戦後」の主要素は、その前の恐慌、戦争、復興といった歴史を通じて形成されたものである」。


 本書を通じて、「板垣ら知識人が東南アジアの占領統治や帝国の再編をめぐる問題にも深く関与していたこと」が明らかになった。「板垣は海軍省の研究会の中で日本の帝国編成についての議論を主導した」が、「陸軍の南方調査団に参加することとなった板垣は、一九四二年半ばには海軍省の総合研究会から離れることとなる。東南アジアの占領地域のほとんどは、長らく南進を主張してきた海軍ではなく、陸軍の管轄となり、政府系機関、民間研究所、そして東京商科大学を動員して南方調査団が組織された。そこには三〇〇名以上の人々が参加し、戦時占領地において最大級の現地調査プロジェクトとなった」。


 このとき、「板垣は、日本の軍政当局と、戦後の東南アジアの歴史を切り開くアジアの民族主義者の関係を調整する役割を担った」。そして、「東南アジアにおける板垣の戦時経験は彼の戦後の活動、特に東南アジア研究の制度化やアジア政策の提言に影響を与えた。一九五〇年代に投資や賠償を通じて構築された政治経済的関係を基盤に、日本は東南アジアと知的文化的関係を作り上げた。スカルノら戦時期の「親日派」はこの過程に大きな役割を果たした」。


 「戦時期の知識人は戦後も集団的知性を重視した」。1950年代初頭に「アジア政経学会、アジア問題調査会といった団体が設立された」。「前者はアジア専門家が集う学会であり、後者は満洲国の官吏であった藤崎信幸が大物保守政治家の経済援助に依存して設立した小規模のシンクタンクであった」。そして、1958年「通産省と財界によりアジア経済研究所が設立された。アジ研の誕生は、日本の帝国的遺産から生まれた内発的な力によるものであった。知的原動力となった板垣ら経済学者は、戦時期に植民政策学を担い、学会活動を通じてネットワークを形成した。実務を担った藤崎と政治的後援者の岸信介満州国政府に勤務した経験があった」。


 経済学者を中心とした(東南)アジア研究の「貫戦史」は、なるほどと理解できた。では、社会科学中心ではアジア研究、とくに東南アジア研究は理解できないと「歴史と文化」を重視した、歴史学や人類学といった人文科学者はどうか、東アジア、内陸アジア、イスラーム研究はどうか、これらの分野でも「貫戦史」が成り立つのか、などなど、知りたいことが増えた。これら全体像がわかったとき、日本の戦後のアジア研究の歩みから、今日の日本と中国、日本と韓国などの関係改善に、アジや研究者になにができるか、わかってくるだろう。

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