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『国際海洋法』島田征夫・林司宣編(有信堂)

国際海洋法

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 「歴史的には、海洋法は、近代主権国家成立のはるか以前における、海を媒介した海運・商事関係に関する慣習法からの影響を強く受けている」。「条約の締約国と非締約国との間では慣習法が適用される。ただし、国際社会全般に広く受け入れられる条約は、その全体または一部が慣習法化し、すべての国を拘束するに至ることもある」。


 「海を利用する人々や都市、国家等が守るべきものとされた一連の法規則の歴史は古く、古代ギリシャ時代にまでさかのぼる」。「ローマ時代には海は万民法(略)において、「万民の共有物(略)」とされ、すべての人々に自由に開放され、私的な所有や分割が禁止されていた」。「中世においては、ベニス、ジェノバ、ピサ、マルセイユなどの地中海の都市国家が海洋にも勢力をのばし、各都市が法を公布し、一部は近くの海への支配権を行使した」。


 さらに、近世、「イギリスの海洋主権論、そしてスペイン・ポルトガルの海洋支配に正面から理論的に立ち向かった」「近代国際法の父」といわれるオランダのグロティウスは、1609年に出版した『自由海論』で、「海はすべての人類にとって自由なものであり、いかなる者も領有し得ないことを説いた。そして、聖書、自然法、発見、先占、慣習等もこれを否定し得ないとした。また、国家間の法によって海はすべてのものの自由な貿易のために開放されていると説き、ポルトガルによる海上通商の制限は根拠のないものであるとし、さらに海は無限であり、漁業資源に関しても、それは海が領有の対象にならないことから当然に、独占の対象とはなり得ず、再生産可能なこれら資源はすべてのものの利用のために開放されていると主張する」。「『自由海論』は、古代からの多くの先例・書物や、国際法の先駆者の理論にも頼りつつ、海洋の自由をはじめて体系的に論じ、今日の公海自由の原則の基盤を築いた」。


 海洋法は、ヨーロッパだけで通用した概念ではない。「海洋航行・通商の自由の原則は、インド洋や他のアジア諸国の間においても、古くから存在していたことも忘れてはならない。古くは紀元1世紀より、ローマとインド洋諸国の間には海上通商があり、西欧諸国のアジア進出以前に海洋と通商の自由の原則はすでに慣習法となっていた。また、13世紀末のマカッサルやマラッカの海事法典のように、こうした慣習法が法典化されたものもあった。グロティウスはこうしたアジアの伝統からも学び、その海洋自由論にも利用したと言われる」。


 以上のような歴史をみると、時代時代の「グローバル化」とともに、海洋法が重視されたことがわかる。現代のグローバル化においても、海洋法が重要になってきており、本書は近年の諸問題に応えるべく、「国際法の枠組みや基本的な原則・規則の体系的な解説を提供する」ために、また大学の授業でも使えるよう、編集・発行された。そのことを、「はしがき」冒頭で、つぎのように述べている。「われわれ両編者が、当時現行の海洋法全般にわたる手頃な入門書の不足を埋めるべく『海洋法テキストブック』(有信堂、2005年)を出版して以来、すでに5年以上が過ぎた。この間、ことにわが国ないしわが国の周辺海域に関連する海洋法関係の諸問題はめまぐるしく展開した。海賊や海上武装強盗の激増、わが国の調査捕鯨に対する過激な反対運動や国際裁判への提訴、漁業資源のさらなる乱獲・違法操業、マグロ等漁業資源の急速な減少、大陸棚の延伸や境界画定問題等々である。さらに、わが国としても、2007年には海洋基本法が制定され、それに基づき、内閣総理大臣を本部長とする総合海洋政策本部と海洋政策担当大臣がはじめて設置され、新たな「海洋立国」をめざす積極的政策が推進され始めた。またその一環としてレアメタルメタンハイドレートなどの大陸棚の新鉱物資源の本格的探査が行われ、海賊行為対処法や領海等における外国船舶の航行に関する法律等が制定された」。


 この「基本的な原則・規則」をもってしても、海洋法が「慣習法」に基づくことから、今日の海洋諸問題に容易に応えることができないことは明らかである。たとえば、「人の居住または独自の経済的生活を維持できない岩は排他的経済水域や大陸棚を有することができない」と、海洋法条約121条3項で規定されながら、日本政府はどう見ても岩としか思えない沖ノ鳥島を「島」であると主張している。いっぽう、フィリピンとマレーシアの国境の島シタンカイ島では、珊瑚礁の浅瀬に杭上家屋が数千建ち並び、万を超える人々が「経済的生活を維持」している。「島」かどうかの明確な基準はなく、国際的に「認めてもらう」以外にない。


 昨日(6月24日)のNHKBS1のオーストラリアのニュースで、日本の調査捕鯨を厳しく批判していた。鯨につづき乱獲などで急減しているマンタ漁も「残酷」だと批判されるようになった。本日(6月25日)の『朝日新聞』では、「生活の糧」としてマンタ漁をつづけるフィリピンの島のことが取りあげられている。その記事は、現地調査をしている赤嶺淳(名古屋市立大学)のつぎのことばで終わっている。「絶滅が危惧されている種について保護の取り組みがなされるのは当然だ。だが、地域に根付いている食文化を否定したり、生活の手段を完全に奪ったりするような規制は適切ではない。漁師の生活や地域のアイデンティティを尊重しながら、より現実的な環境保護策を模索していくべきだ」。


 オーストラリアが、「害獣」であるカンガルーを何百万も「虐殺」していると批判し、反捕鯨をいう資格はないといっても、生産性のある議論にはならないだろう。慣習法は、時代や社会の変化とともに変わる。時代や社会のニーズに従うといえば、それまでだが、歴史や文化を抜きにすることも考えられないだろう。そして、いま環境問題など、未来を見据えて、地球規模で考えなければならない時代になった。国益を越えて、守るべきものはなにかを考えるためにも、本書から基本的な原則・規則を理解しておく必要がある。

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