『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』寺門 和夫(青土社)
「謎解き[銀河鉄道]」
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」はややこしい作品だ。読む本によって印象が変わる。というか、内容が変わる。
学生時代、「銀河鉄道の夜」でレジュメを書くことになり、参考のため『「銀河鉄道の夜」とは何か』(村瀬学著、大和書房)という本を読んだ。著者の村瀬氏が「(賢治によって)最終稿では削られてしまった」と書いていた部分、「セロの声」や「ブルカニロ博士」に関する記述になぜか見覚えがあった。
おっかしいなあ、と思いつつ手元にあった角川文庫版『銀河鉄道の夜』(平成3年7月30日改版66版。改版の初版は昭和44年発行)を見てみると、やはり「セロの声」も「ブルカニロ博士」も登場していた。で、書店に行って新潮文庫版を見てみると、セロも博士も登場しないのだ。当時の書店には、内容が微妙に違う「銀河鉄道の夜」が同時に並んでいたのだ。
以来、私にとって「銀河鉄道の夜」は、なにかと気になる作品になった。賢治生誕百年を記念して「銀河鉄道」の生原稿を展示すると聞いて、わざわざ花巻の宮沢賢治記念館まで行ったことも。その生原稿は、消し込みやら書き込みやらが大量に入り乱れててエライことになっていた。こりゃあ色んな版ができるはずだよ、さすが「永遠の未完成作品」だ、と思った。
さて、『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』の帯にはこうある。
科学の視点で、「銀河鉄道の夜」の謎を解く。
◎銀河鉄道は宇宙のどこを走っているのか ◎銀河鉄道はなぜ3時に南十字につくのか ◎ブルカニロ博士はどこからきたか ◎天気輪の柱とは何か
もうこれを読んだだけで、「銀河鉄道」ファンは辛抱たまらんだろう。
内容も抜群に面白かった。文学的な解釈はひとまず横に置いといて、賢治が書いた文章や、当時賢治が読んだであろう文献などを丹念に調査し、帯に書かれているような様々な謎に迫っていく。
カラーで収録された星座図をもとに、星座の位置と作品の記述を対照しながら銀河鉄道のルートを探る部分など、ワクワクしながら読み進めた。
また、ジョバンニの切符に印刷されていた文字、ブルカニロ博士の正体、作中の銀河旅行と実際の樺太旅行との関わり等々、興味深い謎解きが目白押しだ。天気輪の柱のモデルとされる天頂儀の写真をはじめ、ジョバンニの切符のモデルらしき曼荼羅札など、図版が豊富なのもうれしい。
しかし、なんといっても私が本書のサワリだと感じたのは、「書きかえられた地図」の一節だ。
ここでは、ジョバンニたちが住む町の十字路や天気輪の柱のある丘、カムパネルラが水死する川などの位置関係を検証し、地図化しているのだが、第3次稿と第4次稿(最終稿)では、地図の方角が書き換えられていたのだ。
第4次稿で加えられた記述に合わせ、「結末とつじつまが合うように、町の地図さえも直していた」(p. 69)というわけだ。それくらい賢治の頭の中では、一つ一つのイメージが具体的だったということなのだろう。
科学ジャーナリストである寺門氏だけに、推理と検証には説得力があり、良質な本格推理小説を読んでいるような楽しさがあった。
(これは小谷充著『市川崑のタイポグラフィ - 「犬神家の一族」の明朝体研究』を読んだときにも感じたことだ。物証を積み重ね、推理を実証していく手つきはまるで金田一耕助。この本もお薦めです)
この「フィールド・ノート」を読んで、もう一度じっくり「銀河鉄道の夜」を読み返したくなった。ややこしいはずの「銀河鉄道」が、今度こそすっきり身近に感じられるのでは、と思ったのだ。
で、読んでみた。これまでとは違うイメージが湧いてきた場面もあった。新しい発見もあった。でも、やはり、「銀河鉄道」の謎はどこまでも深かった……
追記
書店に行って確認してみたところ、角川文庫版も平成8年の改訂新版から、セロとブル博士は姿を消したようだ。