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『東南アジア大陸部 山地民の歴史と文化』クリスチャン・ダニエルス編(言叢社)

東南アジア大陸部 山地民の歴史と文化

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 本書は、2009年に発行された「ジェームズ・スコットの山地民の歴史に対する専著The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland Southeast Asia」への異議申し立ての書である。「東南アジア大陸部山地社会と国家との関わりを詳論したスコットは、山地民の社会と文化、生業さえもが国家による支配を回避して、その治下に入ることを予防する目的で編み出されたと主張」した。それにたいして、編者ダニエルスら本書執筆者は、史料の利用に「方法上の課題が多く、仮説の域を脱していないと言わざるを得ない」とし、この仮説を覆す具体例をあげて検証している。


 本書で議論されている歴史は、近代歴史学で正当に扱われてこなかった。そのことを編者は、「序章」冒頭でつぎのように説明している。「これまで東南アジア大陸部の歴史は、国民国家を中心に書かれてきた傾向が強い。古代から現代まで、ビルマ人、シャム人やキン人(ベト人とも呼ばれる)などの多数を占める民族が、どのように現在のミャンマー連邦[2010年からミャンマー連邦共和国]、タイ王国ベトナム社会主義共和国などを作り上げたのか、その道筋を明確にすることが主たる目的である。しかし、前近代において、さまざまな民族集団が歴史の舞台で活躍しており、国民国家の前身は現在ほど面積が広くなく、数多くの大小王朝などの政治体が興亡を繰り返してきたのにもかかわらず、東南アジア史の概説書は彼らの歴史的役割について、多くを語らず、軽視する向きさえある。タイ王国ではその傾向が特に強い」。


 続けてその理由を、つぎのように説明している。「程度に違いこそあれ、山地民は盆地平野に政治中心を設置する前近代の小政権に隷属していた。大王朝の周辺に存続した小政権が現代の国民国家の形成との関与が無視されてきた向きがあると同様に、山地民が前近代の小政権や国民国家の形成にとって役割を果たしていないとみる傾向が強い。これまで、このような分析枠組みの中にあって、山地民が東南アジアで果たした歴史的役割が学問探究の対象になりにくかった。また、山地民の多くが自己の文字を持たず、いわば無文字社会であるが故に、自らの政治・社会的経験を伝える史料がほとんどなく、さらに彼の居住地へのアクセスも不便などの負の条件が加わり、研究の行く手を阻んできたことも事実である」。加えて、文字は、「読み書きする目的ではなく、所有することによって儀礼・秘儀的な意味がある」場合もある。


 中国西南から東南アジア大陸部にかけての山地民の多くは、「前近代においては隣接する盆地国家権力への(少なくとも名目的な)服属を行っていた」。「これらの盆地国家の支配者たちは、自らは王として君臨する一方、清朝からは土司、ビルマ王朝からはソーブワ(土侯)に任じられ、それぞれの間接統治網の末端を構成してもいた」。その「国際関係や民族間関係は、一八世紀より流動化し始める」。「まずはシャン系盆地国家の国力失墜により、次いで西欧植民地主義の到来に触発された辺境山地の近代国家への囲い込みにより瓦解していく。それが山地にもたらしたものは、山地諸民族の自立的空間の消滅(あるいはその大幅な周縁化)であった」。


 その失われた国家を、「宗教的運動によって回復しようという傾向が顕著」になった。だが、ムミとかジョモとか呼ばれる国家や王に相当するものは、近代の国家観や王権観で理解できるものではなかった。「ムミというのは一定の地理的まとまりを無差別に称する語であり、主権の有無を問わない。ムミは主権国家から村落にいたるあらゆるレベルで入れ子状に存在する」。「ジョモという語は王、国家元首、行政首長、主君、支配者、神に対して用いられるかなり幅の広い概念であり、そこでは主権の有無が問われず、また政治単位と宗教団体との違いも区別されていないということである。この広大な領域がひっくるめてジョモと呼ばれているということは、地方村落の長や宗教団体のリーダー、あるいは私的盟約集団の頭目さらには架空の救済者などに対しても、王に対する同じ呼称が用いられるということを意味する」。つまり、かれらの描く疑似国家は、「国民国家とは別次元で成立する「想像上の超国家的共同体」」ととらえることができる。


 さて、冒頭のスコット批判については、編者が自身の章「雲南西南部タイ人政権における山地民の役割-一七九二年~一八三六年、ムン・コーンにおける国内紛争から読み取れる史像」で論証している。編者は、「年代記」に描写される山地民をつぎのように理解した。「タイ人政権の運営は山地民との交渉に大きく依拠している点が明らかである。また、この事例はタイ人政権の多くは実際に多民族政権であり、さらに政治・社会の安定性は国主が盆地住民だけではなく、山地民をも首尾よく統治することによって確保されるものであることを窺わせている」。そして、つぎのように結論した。「スコットが提唱する、山地民が抑圧された低地民の避難場所であった仮説を傍証する史実が得られない。長期にわたる山地を巻き込んだ紛争のなかで重要な概念としてみえてくるのが共生関係である。盆地政権の内紛の分析から低地の政治・社会の安定性が山地住民との協力によって成り立っていた側面が浮き彫りになった。また、山地民は低地の政治闘争に深く関与していたことが明らかである」。紛争を記録し、日常的な共生を記録しないために、紛争を強調する文献史学の欠陥が、ここにもある。


 本書で扱う山地民は、同じ民族名であっても居住する土地の高低差で生活様式が変わり、しばしば移動してその土地に同化してもとの生活様式を失うこともある。東南アジア大陸部の地理的環境と、それを包み込むような中国、ビルマ、シャム、ベトナムといった帝国の影響が、多様で可変的な山地民の歴史と文化をつくってきた。近代になって商品化と土地利用への圧力に直面し、「政治・経済の激変が山地と盆地の間の紛争を激化させた」。このような社会にあって、事例研究から一般化させることは困難である。ましてや、歴史概説書のなかに組み込むことは不可能に近い。それなら、これまでの近代国民国家中心の歴史観でいいのか。いいわけがない。国民国家の役割が相対的に低下している現在、山地民の存在をないがしろにすることは、紛争の原因になる。まずは、本書のように具体的な事例を積み重ねていくことだろう。そして、つぎに「国境なき山地民」の特性をいかして、「地域」の歴史と文化を描くことだろう。それを実現するためにも、共同研究の継続による成果を期待したい。


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