『海外戦没者の戦後史-遺骨帰還と慰霊』浜井和史(吉川弘文館)
アジア・太平洋戦争に負けた日本の海外戦没者の遺骨収集と現地での慰霊の問題は、当然、日本が戦場とした国・地域との関係の下にある。だが、戦場となった国・地域が欧米豪の植民支配下にあったり、委任統治領にあったりしたため、現地社会を無視したなかでおこなわれることになった。
本書冒頭で取り上げられた小説『ビルマの竪琴』にかんしては、僧侶が竪琴で奏でることは破壊行為であること、日本とは違う上座仏教では墓葬・墓参に執着しないことなど、ビルマ文化にたいする著者の無知と無理解が、ビルマ研究者によって指摘されている。終戦直後に評価された想像の物語は、もはや現代では通用しない。
本書では、さらに1956年にビルマ方面で遺骨収集をおこなった団長美山要蔵が、昭和天皇に拝謁し「美談」報告をおこなったことを、つぎのように紹介している。「美山は「収集団」の活動を簡潔に述べたうえで、ビルマの大衆が終戦後においてもなお旧日本軍に対して「綱紀厳正であり、勇敢であり、正直で、勤勉であり、且つよく子供を可愛がった」との印象を抱いていたと奏答した。これに対して昭和天皇は「誠に大変御苦労であった」と声をかけ、美山は「恐れながら陛下にはいたく御感動になった」ように拝察したとの感想を記している」。
こうした見方は、外務省の事務官でさえ違和感を感じ、「如何にも旧軍人の我田引水的所見」であると厳しい言葉で断じた。それにたいし、著者は、「「陸軍葬儀委員」を自認し、戦没者の靖国神社への合祀や千鳥ヶ淵戦没者墓苑の創設に尽力した美山には、どうしても「美談」を国内に伝える必要があった」と述べ、つぎの美山の文章を引用している。「ビルマ人の派遣団に対する友好的協力を認め、日本軍隊に対する親近感を見聞するに及び、ビルマ人の対日本軍隊観を明らかにしてこれを御遺族等に伝達することは、短時間の追悼行事を行なう以上の功徳がある」。こうして、終戦直後の『ビルマの竪琴』から引き継がれて、「事実と離れていたり、一方的な見方に過ぎない」ビルマの対日感情が伝えられた。
いっぽう、引き取り手のない戦没者の遺骨を納める施設として、1952年に発足した「全日本無名戦没者合葬墓建設会」は、つぎのようなものをめざしていた。「「宗教的色彩を払拭し、諸外国に見らるる例にならって、外国使臣等も必ず参拝するようなもの」であり、米国のアーリントン墓地やフランスの凱旋門にある「無名戦士の墓」に匹敵するような「大霊園」であった。ただし、「建設会」としては「この事業は、元来、国の当然の責任として国が主体となって、実施されてしかるべきもの」であるとも考えていた」。この考えは、第一次世界大戦後の国民を戦争に駆り立てるような施設ではなく、あらゆる戦争を否定する第二次世界大戦後の世界的な「大霊園」の考えと一致していた。だが、このような国際的な議論を踏まえて世界各国で建設された施設は、日本には建設されなかった。このことが、今日のいわゆる「靖国問題」に通ずることになる。
本書は、「アジア太平洋戦争の海外戦没者約二四〇万人のうち、日本に戻った遺骨は約半数しかない」事実を直視し、「「空の遺骨箱」が届き戸惑う遺族に政府はどう向き合い、遺骨収容や現地慰霊を行ってきたのか」、「終戦から一九六五年頃までの約二〇年間にわたり、戦後日本が海外戦没者にどのように向き合ってきたのかについてその歴史的経緯を浮き彫りにすることで、「終わらぬ戦後」の原点を見つめ直すことを課題」としている。
その歴史的経緯は、つぎのようにまとめられた。「アジア太平洋戦争における二四〇万人にのぼる海外戦没者の処理は、占領期中にGHQのイニシアチブにより日本政府の検討が開始されたものの、さしたる進展はなく、それが国民的関心を集めて本格化したのは一九五一年の講和を迎えてからのことであった。硫黄島と沖縄への遺骨調査団の派遣を経て、米国との交渉の過程で固まった一九五〇年代における海外戦没者処理の体系は、「遺骨収集団」の派遣、「象徴遺骨」の収容、「戦没日本人之碑」の建立に特徴づけられるものであった。そしてこの体系は、一九五九年三月の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の設立によって一応の完結をみることとなった」。
そして、つぎのように「終わらぬ戦後」を述べて、著者は本書を締めくくっている。「海外戦没者の遺骨収集をめぐる問題は、日本にとって「終わらぬ戦後」の象徴ともいえる。しかし、だからといって「戦後」がいつまでも終わらないと嘆く必要はない。現実から目を逸らし、終わらせることを強いられるよりは、終わらないことの意味を問い続けること、それが許されている時代の方がずっと幸福なのだということを、われわれは銘記すべきであろう」。
本書を通して、いかに日本は戦後も自己中心的な考えで、海外での遺骨収集・慰霊をし、戦後処理に失敗したかがわかった。だが、その原因は、戦場とした国・地域の知識のなさ・無理解にあり、また徴兵制で戦争をおこなった近代国家の共通の戦没者にたいする問題を国際的感覚で考えなかったことにある。日本の海外戦没者の戦後史の問題を、国内問題と考えている限り、日本の「終わらぬ戦後」を終わらせる提言はできない。