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『和解は可能か-日本政府の歴史認識を問う』内田雅敏(岩波書店)

和解は可能か-日本政府の歴史認識を問う

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 著者、内田雅敏は「まえがき」の最後で、本書の目的をつぎのように語っている。「このブックレットでは、これまでの政府の歴史認識にかかわる公的な見解を紹介し、その中身をあらためて確認しながら、アジア諸国との和解はどうすれば可能になるのかを、戦後補償裁判にながくかかわってきた私自身の経験を踏まえて、考えてみたい」。


 本書は、3章からなる。「第1章 日本政府の歴史認識の推移」では、便宜上3期(「第Ⅰ期-冷戦期 占領と独立、韓国・中国との国交正常化」「第Ⅱ期 冷戦終結から村山首相談話」「第Ⅲ期 村山談話の継承と葛藤」)にわけて、歴代日本政府の公式見解を順にみていく。すると、安倍首相の特異さがわかると、章の最後でつぎのようにまとめている。「閣議決定による武器禁輸原則の緩和(二〇一四年四月)、集団的自衛権の行使容認(二〇一四年七月)、という戦後日本の防衛政策の根幹の変更と、アジア安全保障会議での講演、そして後述する靖国神社参拝(二〇一三年一二月二六日)とを併せ見るとき、安倍政権が、歴代政権とは全く違った歴史認識を持つ異形の政権だということが理解されよう」。


 「第2章 安倍政権とその周辺の歴史認識」では、安倍首相自身と首相を支える人びとの歴史認識を問い、つぎのようにまとめている。「歴史認識にかかわる、閣僚などによる数多くの問題発言が、政府の公式見解の存在にもかかわらず、日本の認識を疑わせ、和解を阻害してきた。しかし、これらの発言は、おおむね撤回や、発言者の更迭・罷免などの措置がなされてきた。しかし、安倍首相による戦後七〇年談話は、そのレベルを異にする。閣議決定を経ていようがいまいが、政府を代表する者の見解である」。キーワードを入れればいいだけのことではないことは、2004年3月1日に韓国の当時の大統領の盧武鉉が三・一独立運動の記念式典で、演説したつぎのことばに端的にあらわれている。「日本はすでに謝罪をした。従ってこれ以上、日本に謝罪を求めない。ただし、謝罪にみあう行動をすることを日本に求める」。


 「第3章 和解はどうすれば可能か」では、著者自身の経験を通して、「和解は容易なことではないにしても、不可能なことでもない、と確信している。それは、事実と責任を認め、謝罪し、和解を求めることで、必ず可能になるのである」と結論し、本書をつぎのことばで締めくくっている。「歴史問題の解決のためには、被害者の寛容と加害者の慎み、節度が必要である。加害者は忘れても、被害者は忘れない-私たちはこのことを肝に銘じて、加害の事実に向き合いつづけなければならない」。この第3章は、わずか8頁しかない。なんとなく心細くなった。


 心細くなったのは、それだけではない。これだけ理路整然と説明しても、安倍首相とその取り巻きたちには、通じないということである。そして、与党自民党から異論が出なく、野党もこの歴史認識の特異性がもたらす、もはや近隣諸国だけでなく世界に悪影響することを指摘できない。なにより、野党第1党の民主党が与党に対抗する候補者さえ立てられない状況にあり、支持率が下がったとはいえ選挙をすれば自民党が勝ち、展望が開けないことである。矛先は、政権や政治家だけでなく、このような歴史認識がまかり通る日本社会がどうしてできてしまったのか、戦後70年間にも向けなければならない。


 今年8月に放送された戦争テレビドラマなどでは、やたら被害者としての戦争の悲惨さが強調されていたように思える。リニューアルされたピースおおさか(大阪府大阪市が出資する「大阪国際平和センター」)の展示は、大阪空襲の被害が強調されたものに変わっていた。被害者になることは、だれもがいやであることはわかりやすい。わかりにくいのは、加害者になる苦しみである。戦争という大義名分をえれば、合法的に殺人者になることができる。だが、殺人者になって戦争に勝っても、人を殺したことは死ぬまでついてまわる。自分自身が人を殺さなくても、殺したことのある者といっしょに暮らせるか、いっしょに仕事できるか、考えてみただけでもぞっとする。いまの日本の社会では、英雄として尊敬されるだろうか。被害者より、加害者になることとはどういうことかを理解することはずっと難しい。それを知ることで、戦争に勝者はいないこと、戦争責任はだれもとれず戦争をしないことが唯一戦争責任から逃れられる手段であることが、わかってくるだろう。


 植民地支配についても、当時たとえ合法的だったとしても、その影響が後世にどれだけ大きな影響をもたらすか、それを支配した側が理解し、つぎの世代に伝えることが、盧武鉉大統領が求めた「謝罪にみあう行動」のひとつであるはずであるが、いまの日本は明らかに逆行している。

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