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『未完に終わった国際協力-マラヤ共産党と兄弟党』原不二夫(風響社)

未完に終わった国際協力-マラヤ共産党と兄弟党

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 歴史が書けないことには、いろいろな理由がある。マラヤ共産党の歴史については、1960年の非常事態終了までの研究がほとんどで、その後1989年12月に和平協定が締結されるまで30年間近く続いた武装闘争については、ほとんど語られていない。とりわけ、中国や近隣東南アジア諸国共産党(兄弟党)との関係をまとまったかたちで書かれたものは、まったくなかった。


 それが、書くことができるようになってきた背景を、著者、原不二夫はつぎのように説明している。「陳平(Chin Peng)書記長を中心とするマラヤ共産党幹部の多くが長らく中国に滞在していたことが和平協定締結後次第に明らかになり、今ようやく、滞在の顔ぶれ、時期、状況などを整理することで、中国や中国共産党とマラヤ共産党との関係の具体的な姿の一端を捉えることが可能になった。南タイにあったマラヤ共産党とその軍隊がタイ政府、周辺のタイ住民、タイ共産党とどのような関係を築いていたかについても、当事者側からの資料が得られるようになった。従来、太平洋戦争直後に二、三人のインドネシア共産党(Partai Komunis Indonesia. 以下、PKI)幹部がマラヤ共産党指導に当たったことくらいしか知られていなかった同党との関係や、ホー・チ・ミン主席が一九三〇年にマラヤ共産党創建会議を主宰したこと、イギリスのスパイとして送り込まれ一九三九年から一九四七年までマラヤ共産党書記長の任にあったライテク(Lai Teck)がベトナム出身でかつてインドシナ共産党員だったことくらいしか知られていなかったベトナム労働党共産党)との関係も、一端ながら明らかになってきた」。


 東南アジアの各国・地域の共産党の歴史を理解するには、まず当時の冷戦構造下の国際情勢や共産党諸国間内での対立を考えなければならない。だが、それだけではすまないことは、東南アジアの歴史と社会を多少知っている者なら、容易に想像がつく。「東南アジア各国の共産党は、それぞれ独自の路線、闘争方針をもつものであったが、一九四八年に多くの党が踵を接して武装闘争に踏み切ったように、東南アジア諸党間の横の連携やソ連、中国からの「指導」を窺わせる面も併せもっていた」。中国やベトナムは、共産党労働党)が政権を担い、インドネシアも1965年の9月30日事件まで合法政党として政権に大きな影響力をもっていた。これらの合法共産党は、非合法共産党を国家として支援した。いっぽう、非合法政党としての共産党は、公定史観のなかでまともに語られることはなかった。


 マラヤ共産党について、著者はつぎのように説明している。「マラヤ共産党は、マレーシアの正史の中では、長いこと国と国民の安全を脅かす勢力、国家への反逆者、国賊の扱いを受けてきた。党員、支持者のほとんどが華人だとされ、マレー人に敵対する組織だとも指弾されてきた。しかし、一九八九年の和平会談合意に際して政府側が「マラヤ共産党の評価は歴史の判断に任せよう」との立場を打ち出したこともあって、和平協定締結後様々な回想記の出版が認められるようになり、状況に変化が生じてきた」。


 「当事者側の資料は、かつてイギリス植民地当局によってマラヤから中国に強制送還(中国国籍でない者もいたから、送「還」は適切でないかも知れない。華語では「駆逐出境」)されたマラヤ共産党関係者が一九九二年に香港で出版した二書を手始めに、一九九〇年代末から和平協定締結後南タイの入植地に住む元幹部の回想記が香港で、二〇〇〇年代に入ってからはマレーシアに帰還した元幹部の回想記がマレーシア国内で、多数出版されるようになった。マレーシア政府が帰国を未だ認めない陳平書記長の回想記も、シンガポールで二〇〇三年に出版された」。


 さらに、華人だけでなく、マレー人も共産党に深くかかわっていたことがわかってきた。「一九八八年以来党委員長の地位にあったアブドゥラー(Abdullah C. D.)はじめマレー人最高幹部の回想記も多数出版され、党内で華人とマレー人との融和が図られていたこと、マレー人も委員長、政治局員、中央委員として重要な役割を果たしていたことなども知られるようになった。マレー人最高幹部が敬虔なイスラム教徒でもある旨を再三強調し、和平後多くがメッカに巡礼したことも、紹介されるようになった。マレー人研究者がマラヤ共産党の活動をマレー人の英雄的な長い反植民地闘争の歴史の中に位置づけた本も、出版された。マラヤ共産党が活動を止めた後、その役割を、冷静かつ公正に、客観的に位置づけようとする機運が高まっているのである」。


 このような試みは、たんにマレーシアの歴史を相対化するだけではない。近隣の兄弟党とのかかわりから、地域史としての東南アジアの歴史の理解も深まってくる。だが、東南アジアの歴史は、共産主義者の活動というひとつの側面から見ただけではわからない。海域部ではインド洋経てイスラーム教徒との結びつきがある。大陸部では上座仏教徒のつながりがある。商業活動によるもの、開発にともなう移住もある。流動性の激しい東南アジアにあって、共産主義者の活動も、国境や民族を超えておこなわれていたことが、本書を通じて明らかになった。その活動を、東南アジアの歴史と社会のなかで読み込むと、1960年からの30年弱の歴史もまた違ったものとしてみえてくるかもしれない。


  本書の帯にある「「ドミノ」実現へ動く、各地の党や中越の動きを追う。東南アジアの共産党と中国、ベトナムなどは、各国に社会主義政権を打ち建てるために、「密かな国際協力」を進めていた。知られざる歴史を史料をもとに克明にたどる」以上のものが、本書から発展して議論できる可能性が出てきた。

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