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『連帯と承認-グローバル化と個人化のなかの福祉国家』武川正吾(東京大学出版会)

連帯と承認-グローバル化と個人化のなかの福祉国家

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「この国において「連帯と承認」はいかにして可能か?」

 いかなる論理の飛躍も修辞によるごまかしもない、平明で硬質な文章を読むことは、まさにひとつの快楽である。

 私はここのところいっそう、日本という社会の成り立ちの様々な面での異様さと、その由って来たる所を明らかにする必要性を痛感することが多かったのだが、本書を読みながら、目の前の靄が晴れていくような思いがしていた。

 本書は、福祉国家の多様性に関する比較社会学の書である。

 筆者の分析枠組みを示した序章では、国家目標、給付国家、規制構造という福祉国家の3側面と、それぞれに対応した形で福祉政治(イデオロギーや権力)、再分配の規模や効果、規制の形態や効果という3つの研究領域が提示される。ここでのポイントは、従来の福祉国家研究においては給付=再分配という側面に関心が偏っていたが、社会規制という側面もそれに劣らず重要であるということである。たとえば、本書の中で数カ所にわたって述べられているように、アメリカは規制国家という側面ではむしろラディカルな福祉国家としての性格をもっている。

 また、上記は福祉国家の内側に向かう問いとそれへの答であるが、福祉国家の外部環境として重要なのは資本制と家父長制であると筆者は述べる。これは言い換えれば、経済システムと家族システムを指している。福祉国家のパフォーマンスは、資本制=経済システムとの関係においては労働力の脱商品化の度合いとして、家父長制=家族システムとの関係においては脱ジェンダー化の度合いとして表れる。

 続く第Ⅰ部では、グローバル化と個人化という2つの大きな趨勢の中で福祉国家がいかなる変動にさらされているかが論じられる。1章では、70年代後半から80年代にかけての「日本型福祉社会論」のトラウマを超えて、福祉へのコンシャスネスと、ボランタリズムや市場に重点を置いた形での「社会による福祉」を構想する新しい福祉社会と、福祉国家との協働が必要であることが提唱される。そして、序章で述べられた枠組みの中で、給付=再分配という側面は社会の中での連帯という価値と、また規制という側面は承認という価値と、それぞれ密接に関係しているという展開がなされた上で、グローバル・ナショナル・ローカルという3つのレベルで福祉国家と福祉社会がそれぞれいかなる課題に直面しているかが整理されている。

 2章では、1980年代以降における福祉レジーム間のヘゲモニーの変遷が論じられる。単純化して述べるならば、80年代にはフランスを典型とする保守主義レジーム(新ケインズ主義戦略)が敗退し、90年代にはスウェーデンを典型とする社会民主主義レジーム(ネオ・コーポラティズム戦略)が敗退し、英米における自由主義レジーム(新保守主義戦略)のひとり勝ちの様相を呈するにいたったが、それと並行して保守主義レジームを母体として「社会的ヨーロッパ」を掲げる欧州モデルが台頭してきている。この拮抗関係の行方を考える上で、競争条件均等化の法則およびグレシャムの法則という2つが重要な補助線となる。前者は欧州モデルにとって、後者は英米モデルにとって有利に働く。しかし、仮に英米モデルが生き残ったとしても、それは社会統合の面で大きなリスクを抱えている。

 これらのヘゲモニー競争は、いずれもグローバル化の影響から生じていた。3章では改めてグローバル化福祉国家に及ぼす影響が論じられる。すなわち、福祉国家は、労働移動と資本移動の増大およびその両者間の不均衡により、キャピタル・フライトの恐怖にさらされている。それがもたらす税負担の削減要求は給付国家という側面を、また規制撤廃圧力は規制国家という側面を脅かし、福祉国家は自国内の社会政策をコントロールすることが難しくなる。こうしてグローバル化した諸リスクは、グローバルな=トランスナショナルな=コスモポリタニズムの社会政策によってしか解決されえない。それは「福祉世界」への構想力を必要とするのである。

 続く4章で取り上げられるのは、もうひとつの巨大な趨勢である個人化と福祉国家との関係である。家族・職域・地域・消費など様々な場面で生じている個人化は、一方では個人の自立と自由を、他方では集団からの排除の危険をもたらす。福祉国家は、家族の個人化への対応としては社会政策の脱ジェンダー化を、職域の個人化への対応としては労働の柔軟化と脱商品化の両立を求められる。地域の個人化はローカルな市民社会をもたらし、消費の個人化は多様な消費ニーズを生み出し、いずれも従来の福祉国家が行動様式を組み替えるよう迫っている。新しい福祉国家モデルをめぐる合意が、ベーシックインカムワークフェアという両極の間のどこかに模索される必要がある。

 第Ⅱ部においては、日本やアジアにより重点を置きつつ、比較研究がさらに展開される。

 日本の福祉国家レジームを論じた5章での議論を要約するならば、日本は第一に福祉政治という面では社会民主主義の弱さと国家官僚制の強さを、第二に給付構造という面では社会支出の薄さと公共事業支出の厚さを、規制面では経済規制の強さと社会規制の弱さを、それぞれ特徴としている。第一の特徴は福祉政治の潜在化=脱政治化を、第二の特徴は「特別な必要」に応じた給付や階層間の再分配の低調さを、第三の特徴は社会的差別の温存を、それぞれもたらしている。しかしこのような日本のレジームは、グローバル資本主義や脱ジェンダー化、二大政党化の兆しなどの圧力によって岐路に立たされている。

 6章から8章までにおいては、韓国と日本をひっくるめて東アジア・レジームとして取り扱う福祉オリエンタリズムへの批判が繰り広げられる。圧巻は、8章における、従来の福祉国家形成理論の主流であった収斂説と経路依存説に対して、福祉国家への離陸時の国際環境の重要性という新しい観点を追加した上での、英・日・韓比較である。冷戦下で福祉国家への離陸を遂げ、その後の高成長期に十全な発展を遂げたイギリスに対し、70年代に離陸を迎えた日本ではその当初から福祉国家の形成と危機が同時進行しており、十全な発展を見ないまま現在にいたっている。世紀末に離陸を開始した韓国では、「生産的福祉」のスローガンのもとにウェルフェアとワークフェアが同時にかつ急速に出現しつつある。

 最後の終章では、市民権(シティズンシップ)概念の内包と外延、広さと深さ、権利面と義務面が議論され、やはりグローバル化のもとで従来の市民権概念が限界を迎えつつあることが指摘される。

 以上、自分にとってのメモを兼ねて長々と要約してきた。とにかく、本書からきわめて大きな知的興奮を受けたのは、福祉国家論について私が浅学であるという理由だけではないことは確かだろう。

ただ、もう少し詳細に論じてほしかったのは、日本はその離陸期の条件によって帯びてしまった負の特徴という経路依存性を、いかにして脱することができるのか、この国ではやせ細っていると感じられる「連帯と承認」を、いかにして育ててゆくことができるのか、ということについての、現実的・実践的な示唆である。まあそれは、社会学は価値自由な学であるという、20数年前に受けた教えをどこかに忘れてきてしまった私の、厚かましい願いなのかもしれない。

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