『倍音』中村明一(春秋社)
「音・ことば・身体の文化誌」
2006年7月のブログで紹介した『「密息」で身体が変わる』の著者、中村明一が新著『倍音』を上梓した。人間同士のコミュニケーション手段として欠かすことのできない「音」の倍音構成をもとに考察された文化論が展開されている…──と紹介すると、堅苦しい印象になってしまうが、そうではない。本書は日本と西欧の文化の違いを「倍音」というユニークな視点からとらえた、とても新鮮で読みやすい本である。著者は国際的に活躍中の尺八奏者だが、尺八という純日本的な楽器に習熟しているからこそ感づいたことに違いない。それを単なる感覚・感想として放置せず、誰もが納得できるような論理的検証を伴った形でまとめあげたのだ。倍音とは自然界に存在するほとんどすべての音に含まれている成分だ。高周波の、平たく言えば「高い音」である。倍音の発生源となる音は「基音」と呼ばれる。機械を使えば基音のみの音を作るのは簡単だが、情緒のかけらもない無粋な響きで、いわゆる「コンピューターで合成した音」そのものだ。基音を軸にして発生する倍音の中には、あまりに高くて人間の聴覚では聞きとれないものも多々あるが、最近の研究では「たとえ耳では聞こえなくても肌で感じている」という。CDをはじめ音がデジタル処理されるようになってから、この「聞こえない倍音」は人為的にカットされるようになったが、その影響は思ったより大きいのかも知れない。
倍音の高さ、配分、強さなどによって「音色」が劇的に変化する。そしてまた「人の心に訴える力」も変わるのだ。この倍音には「整次数倍音」と「非整次数倍音」があり、中でも「非整次数倍音」の多寡が人の感覚に大きな影響を及ぼしているのだそうだ。一般的には「さしすせそ系」の、たとえばシャーシャーとかシューシューなどといった音に、より多くの非整次数倍音が含まれている。これこそが日本の文化には欠かせない“きも”なのだ。風の音や小川のせせらぎ、虫の鳴き声などに独特の風情を感じとってきた日本人の感性は、同じ要素を楽器に、そして音楽にも求めてきた。他方、西洋音楽の響きは整次数倍音が中心となっているのだそうだ。本来の日本人の琴線には触れにくい、なじみの薄いものだったのだ。
どちらが良い、悪い、あるいは優れている、劣っている、という比較をするのではない。倍音が人の感覚や感情にどのような影響を及ぼすか、どんな印象となるかが、楽器のみならず森進一や美空ひばりなどの声も引き合いにわかりやすく説明されている。響きにくく、反射の少ない日本の音響環境、そしてそこに育った日本の音楽と、教会の中のように残響の多さが特徴の西欧の音響環境とそこに育った音楽とは、根本的に方向が違うものだったのだ。そこに気がつくことによって、今までないがしろにされてきた日本の伝統音楽にもっと興味を持つ人が増えるのであれば、何よりも喜ばしい。