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『オキーフの恋人 オズワルドの追憶』辻仁成(新潮文庫)

オキーフの恋人 オズワルドの追憶

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「記憶はどこまで信用できるのか?」

 日常生活の中で、自分の記憶違いという場面に出会った事のない人はいないだろう。普通は歳と共にその頻度も増えていくはずだ。しかし、その記憶が他者の意志によって刷り込まれたものならば……恐ろしい話だ。人は誰しも自分の記憶に頼って生きているのだから。そんな恐ろしさが見事に描かれている「オズワルドの追憶」は、劇中劇のような形で登場する。

 現実では、その小説を担当する編集者の小林が、作家の代理人である榛名潤子と関わる事によって、マインドコントロール悪魔崇拝の世界に引きずり込まれていく。これが「オキーフの恋人」のモチーフであり、二つの作品はパラレルワールドのように平行して描かれていく。そして、最後に複雑な形で繋がる事になる。

 インナーチャイルド、神と悪魔、テロ、多重人格、マインドコントロール、現実と非現実等、数多くの要素が盛り込まれている作品が辻人成の『オキーフの恋人 オズワルドの追憶』だ。オキーフはアメリカの伝説的女性画家ジョージア・オキーフであり、オズワルドは1963年にアメリカ大統領のジョン・F・ケネディを暗殺した人物である。今でも解決したとは言えない謎の事件となっているが、オズワルドがマインドコントロールされていたという説がある。

 長い夢(実際はそれほどの時間ではないのだろう)から覚めた時に、一瞬自分のいる場所が分らなくなる時がある。そんな時、夢の中の世界が本当なのか、現実だと「思っている」世界が本物なのか、自信がなくなる。すでにデカルトが「我思う、故に我あり」と解決している問題であっても。

文学ではジョージ・オーウェルの『1984年』、漫画では吉田秋生の傑作『バナナフィッシュ』、現実ではオウム真理教等、マインドコントロールにまつわる話題は多い。大脳生理学が発達していくと、人の心を操る事が可能になるのだろうか。それともそれは心理学の分野なのだろうか。

パリは歴史のある街である。散歩していると至る所に歴史の影が落ちている。コンコルド広場を歩く時、断頭台の露と消えていった人たちを思わずにはいられない。広場や街角、教会等で多くの墓碑銘に出会う度に、その人の人生に思いを馳せる事になる。彼らは私たちの記憶に生きている。たとえそれが時間的に遠い、直接会った事のない人でも。

多くの記憶が私たちを生かしてもいる。その意味で、一冊の本との出会いは、作者を含む人々との出会いである。彼らから多くのものを学ぶ事もよくある。晩秋の一日、「記憶」とは何であるかを考えながら、辻人成と対話してみるのも一興ではないだろうか。


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