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『浅草東仲町五番地』堀切利高(論創社)

浅草東仲町五番地

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「懐かしの浅草物語」

 飛行機が日常的な「足」となった今では、地方在住の人が「東京」に持つイメージも変わってきたのかもしれない。しかし、以前は地方人にとっての「東京」という幻想が間違いなく存在していた。大きなビルが立ち並び、人々は皆お洒落をしていて、あまり生活感の無い街。そこに行けば何でもあり、力さえあれば何でもできる所……北海道出身である私は、若い頃そんな思いにとらわれていた。

 自分が東京で暮らすようになり、下町出身の妻と出合ってから、その幻想は少しずつ地に足が着いたものへと変化していった。とは言え、浅草の旅館柳屋の跡取り息子に生まれ、昭和前期をそこで過ごした堀切利高の体験は想像もつかない。『浅草東仲町五番地』はそんな氏の浅草物語である。

 旅館の玄関先でお客さんとの交渉がまとまると、番頭が大声で「闇、お二人さん! 紅葉の間」などと叫ぶ。宿賃は符牒で「三円が闇、二円が松、一円がだら」となると言う。「闇」になると茶菓子も違い、二の膳にお銚子までついたそうだ。面白い。映画の一コマのようだが、「松」より「闇」が上というのも不思議だ。

 永井荷風の『断腸亭日乗』に出てくる「アリゾナ」という洋食屋の話も面白い。しばらくぶりで訪れた筆者は、店は閉まっていたが女主人と出会う。歯切れの良い下町言葉を話す彼女から、アリゾナの古いメニューを贈られるのだが、それを見て驚いた。「ラグウーダニョー(フランス風シチュー)」とあるではないか。これは「Ragoût d’agneau」に違いない。

 Ragoûtはフランス語で「シチュー・煮込み料理」で、agneauは「子羊」だ。つまり「子羊のシチュー」または「子羊の煮込み料理」となる。戦後間もない頃に浅草でこんなものを出す店があるとは……ジンギスカンブームよって、東京人が羊を食べるようになったのはつい最近の事だと思っていた。北海道では普通の料理だから、小さい時から羊を食べてきた私は、東京人は慣れていない故フランスに来ても羊が食べられない人がいるのだなあと思っていた。ところが、こんなハイカラな料理が昔から浅草の洋食屋で出ていたのだ。

 池波正太郎のおかげで蕎麦文化も浸透したようだが、筆者は並木の藪蕎麦に空いた頃を見計らって寄り、「昔ながらの蕎麦味噌で菊正の樽を二本ほど呑んで、もりを一枚さらっといただいて帰るのが定番」のようだ。何とも粋な姿である。その他にも、人形師、歌舞伎俳優、日本舞踊、映画館、カフェ、祭り、芸者、下町と山手等、浅草ならではの興味深い話が数多く紹介されている。

 自伝的な回想記としては、明治末期を舞台にした中勘助の『銀の匙』という素晴らしい作品がある。『銀の匙』は静謐な世界だが、堀切利高の世界は何か弾んでいる。浅草ならではのリズムであろうし、氏が二代目餓鬼大将であったことの名残なのかもしれない。だが時代は違えど、両作品共に私たちにある種の郷愁を呼び起こしてくれる。そこにいた訳でもないのに何か懐かしい。それはもしかしたら、国も人種も関係の無い、人間のはるかな記憶につながるものなのかもしれない。


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