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『幽霊コレクター』ユーディット・ヘルマン(河出書房新社)

幽霊コレクター

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「意識の流れに伴走する独特の文体」

旅の意味は、どこかに行って何かを見ることにあるのはたしかだが、それと同じくらい「ここ」を離れることにあるのではないか。住んでいる家を離れ、家族や友人関係を離れ、見慣れた風景を離れ、食べ慣れた食物を離れる。自分というものを成立させているコンテクストから抜け出し、「だれでもない人」になる歓びにひたる。

これは一種の宙づり状態であり、サスペンスの感覚に近いとも言える。物事がどう転がっていくかわからない不安と緊張が意識の動きを明確にし、ふだんはやるべきことにつなぎ留められている心のロープをほどく。水面下にある無意識までが釣り上げられ、意図しないものが手を結び合って思いがけない方向に引っ張っていく。

本書に収められた七つの短編は、どれもそんな旅の時空を舞台としている。著者はドイツの若手女性作家ユーディット・ヘルマン。1作目の『夏の家、その後』を読んでとてもおもしろい作家だと思ったが、第2作に当たる本作ではそれをしのぐ構成力と筆力を見せた。

「ルート(女友だち)」は親友の片思いの相手と逢引しに彼の住む街を訪ねていく話で、「冷たい青(コールドブルー)」はアイスランドのカップルをベルリン時代の友人とその恋人が訪ねてくる話。表題作「幽霊コレクター」はドイツ人カップルがネバダ州オースティンのモーテルに一泊する話で、「道は何処へ」は四人の男女がプラハに住むチェコ人の友人宅で大晦日を過ごすストーリーだ。

どの主人公も、旅先でなにかを見てまわるというツーリスト的な関心とはまったく無縁である。たとえば「道は何処へ」の男女四人は、どこかに案内しようと張り切るチェコ人の友人の期待を裏切って部屋でだらだらし、食事をするにも旧市街地ではなく近所のベトナム人のマーケットで食べる。

意欲の乏しい、とてもイマドキな感じのする男女が登場するが、虚無感は漂わない。見えるものがあり、それによってわき起こる感情があり、その感情の動きが視界のとらえるものを新たに変化させて未来への予兆に導いていく。彼らの外側で起きていることと、内側で起きることを等価に記述していく文体には、生命のリズムにそっているような印象があるる。

ヘルマンの筆が、水中を泳ぐ小魚をつかまえるように意識の動きをとらえて逃さないのは、人の心は移ろうものだという絶対的な認識が、彼女のなかにあるからだろう。そしてそれが虚無にも暗さにも傾かないのは、ヒトの細胞が刻一刻新しくなるように人の心も変化するが、その変化を観察し、記憶することも人は出来るのだという人間存在への理解と信頼があるからだろう。

独特の文章をここに引用したいと思ったが、段落なしに長くつづくテクストの一部をばっさりとカットして抜き取ることにためらいをおぼえた。抜き出すと別の意味が出てしまうのではと危惧するほど、意識の流れを追跡する文章の使命と文体とががっちりと手を組んでいる。

私はどちらかというと、日本の小説より海外の小説を手にとってしまうことが多く、どうしてかと考えることがあるが、『幽霊コレクター』はその理由の一端をも明らかにしてくれた。これを読んでいるあいだ、ずっと小説中の人物がちらつき、個人的に知っているドイツ語圏や北ヨーロッパ圏の女性たちの姿とそれが重なった。

彼らは人に合わせることをしないので、不可解な一面を見せることもあるけれど、輪郭線が太くて記憶にはっきりと像が残る。この作品集は、そんな彼らの我の強い動物のような意識の変遷を丹念に追っていて、ひとりひとりに出会ったという確かな手応えを持つことができた。

藻のように揺れている日本人の、やわらかで優しい居ずまいも決して嫌いではないが、ときにはコツンと当たるものを持った、くっきりした人物に会いたくなるのである。


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