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『あめふらし』長野まゆみ(文春文庫)

あめふらし

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「暑さを忘れる異空間」

 長い一時帰国(7週間)から、先週末にパリに戻ってきてホッとしている。一番の違いは、時間の流れ方と人との関係だろうか。ここでは、時は自分に合ったリズムでゆっくりと流れ、人はあるがままの姿なので、こちらも自然体でいられる。日本滞在の後半に、暑さを少しでも忘れるために、久し振りに長野まゆみの作品を読んだ。

 長野まゆみには懐かしい思い出がある。もう20年ほど前になるが、教え子の高校一年生が彼女の作品で論文を書いたことがある。『少年アリス』や『野ばら』を使ったものだったが、作品に表れる「色」の効果について分析した、興味深い論となった。良い出来だったので、作家本人にコピーを送る事を勧めた。そうしたら、何と本人から直筆の手紙が届いたのだ。

 几帳面な小さな字で、丁寧なお礼と、自分でも考えていなかった視点からの論が興味深かったこと、そしてこれからも頑張って書いていくので応援して欲しいこと等が書いてあった。当時デビュー間もない作家とはいえ、高校一年生の女子に向かって、何と真摯な手紙を書いてくれたのだろうと、私も感激した事を覚えている。

 初期の作品の主人公は少年で、彼と「異界」との干渉作用を描いた、ファンタジーとも怪奇物とも言えないような、不思議な魅力のあるものだった。今回読んだ『あめふらし』はそれから15年以上経って書かれた作品だが、以前とは違った世界が出現している。

 この作品では主人公は少年ではなく、橘河という大人になっている。いや、「大人」とは言えないかもしれない。彼は死者の魂を捕らえておくことのできる「あめふらし」なのだから。かつては異界との交渉を持つことの出来る少年が主人公だったが、とうとう異界の住人が登場している。橘河が魂を捕らえて種々の仕事に使っている副主人公たち(仲村や市村)も死者であったり、蛇の化身であったり、普通の存在ではない。

 彼らが種々の「事件」に出会い、橘河の助けも加わり、それらを解決していく。何だか単なる荒唐無稽なドタバタ劇に聞こえるかもしれないが、そうではない。あまりにも人間的な少年愛的同性愛が作品を柔らかくしているし、現実味を出すための比喩も巧みだ。例えば太陽が薄い雲に包まれる時を「火にかけた酢水のなかへ落とした卵はたちまち白い衣をまとって黄身をつつみこむ」と表現し、まとまらない意識を「清(すまし)の椀のなかをたゆたう蜆のむき身がなかなか箸でつかめないのと似ている」と表す。

 不思議な世界を表現してきた作家たちは多い。泉鏡花稲垣足穂がいるし、最近では川上弘美も活躍している。しかし、長野まゆみの世界は、その全てに似ているようで、やはり違っている。まさに彼女のフアンが「長野まゆみワールド」と呼ぶ、独特の世界だ。それ程鋭角ではない。だがぬるま湯でもない。かすかに違和感が残るのが心地良く、少々不安でもある。たまには現実を離れてこんな空間に身を置いてみるのも、避暑として悪くない。


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