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『塩の道』宮本常一(講談社学術文庫)

塩の道

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「一尾のイワシは4日かけて食べる!」

 フランスは塩が豊富だ。地中海でも大西洋でも作っているが、ブルターニュの「ゲランドの塩」は日本でも有名だろう。特に「fleur de sel(塩の花)」と呼ばれる最高級のものは、料理の素材が何であれこれだけで味付けして美味しいし、ワインと抜群の相性だ。日本ももちろん島国で海に囲まれているのだから、古来塩は豊富であったはずだ。とは言えそれは海岸部での話で、山間部では上杉謙信武田信玄の「敵に塩を送る」というエピソードで有名なように、塩が不足していた。当然そこには塩を運搬する「塩の道」が存在する。

 食料がなくとも、塩と水があればしばらく人は生きていられるとも良く聞く。だがこれほど身近な塩なのに、塩の「歴史についての研究は、昭和の初めまでわれわれの目にとまるようなものがなかった」と宮本常一は『塩の道』で語る。

 揚浜式から入浜式、土釜、鉄釜、石釜等の発達も面白いが、塩の流通の歴史は非常に興味深い。昔東北地方の山村では、木を伐り川に流し、河口でそれを回収し浜で塩を焼き持ち帰ったという。それがいつか薪を売って塩を買うようになる。さらに塩の生産が増えるとをれを売り歩く人々が出てきた。

 別の方法もある。瀬戸内海地方では、山の人々は雑木を焼いて灰を作り、それを海辺の人の塩と交換する。麻をさらすのに灰のアクを使う必要があるのだ。雪の少ない瀬戸内地方ならではの知恵である。塩を手に入れるために様々な工夫がなされていたのだ。

 塩を運んだ道や、運ぶ人々が宿泊した施設等も綿密な調査がなされている。面白いのは、馬よりも牛を多く使用したということだ。牛のほうが細い道を歩いたり、長く歩いたりするのに適しているというのは、想像の範囲であろう。だが、牛は「道草を食ってくれる」が馬は道草を食わない、というのは凄い。道端の雑草で牛は満足するから、餌代が助かる。

 牛も通れない道は、人が塩を運ぶ。貴重な塩は山村ではどのように食べるのか。大和では塩イワシを買うと煮ないで焼く。塩を失わないためにである。そして「焼いた日はまず舐める。次の日に頭を食べ、その次の日は胴体を食べ、そして次の日はしっぽを食べるというように、一尾のイワシを食べるのに四日かける」という。どんな名言よりも塩のありがたみが分るエピソードだ。

 私は北海道の山間部の出身だが、小さい時は新鮮な魚などなかった。良く食べたのは「塩鮭」だ。「塩引き」とも言うが、近年ブームになった『蟹工船』で労働者たちが食べていたアレだ。非常に塩が強いので、小さな一切れでご飯3杯くらい食べられた。今はそんなものは売っていないだろうが、時々ふとあの味が懐かしくなる。

 聞き取り上手は話し上手を育てる。宮本がある島で数日間調査をし帰る時に、島の人が言う「先生は調査にきたといったのに、少しも調査をしなかったが、良いんですか」だが宮本は必要な調査をしっかりと済ましていたのだ。相手側に調べられたと感じさせない調査。これは「達人」のレベルである。「塩の道」以外にも、日常の暮らしの中にある日本文化に関する鋭い考察が興味深い良書だ。


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