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『帝国とアジア・ネットワーク-長期の19世紀』籠谷直人・脇村孝平編(世界思想社)

帝国とアジア・ネットワーク-長期の19世紀

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 17世紀の東南アジアを世界史のなかに位置づけ、理解することは難しい、と浜渦哲雄『イギリス東インド会社』のところで書いた。19世紀になっても、アジアを世界経済史のなかに位置づけ、理解することが難しいことが、本書からわかる。


 本書は、「19世紀のアジアの広域市場秩序の形成を検討した共同研究の成果」で、「ヨーロッパ帝国主義のもと、ダイナミックに展開したアジアの商業的ネットワークに光を当て、18世紀から20世紀にまたがる「長期の19世紀」という新たな枠組みを提示する」ことを目的としている。そうすることによって、具体的には、アジアのふたつの大国である中国とインドが、「20世紀後半の長い期間、なぜ世界市場に背を向けていた」のかを、解く鍵があるという。


 「あとがき」で編者のひとり脇村孝平は、「20世紀前半に定着した世界経済イメージ」をつぎのように捉えている。「19世紀にアジアの諸地域は、ヨーロッパ諸国との関係において不利な国際分業(農工間分業)を強いられた」。「加えて、植民地支配の体制において、財政的な所得移転(いわゆる「国富の流出」)も存在したということになる。いずれにしても、19世紀に、ヨーロッパとアジアのあいだで非対称的な経済的変容が生じたという認識が帰結する。これは、輸入代替的な工業化を、閉鎖体系の中で推進するという第二次世界大戦後の経済戦略につながった」。


 「しかし、19世紀のアジア経済史には、このような認識では捉えきれない側面も存在した」とし、「本論文集が光を当てようとしているものこそまさに、そのような側面である」と、つぎのように説明している。それは、「アジアにおいて近世以来存在する商業的・企業家的な伝統が、イギリスが先導するヨーロッパの帝国主義の進出が著しかった19世紀においても継続したという歴史像である。もちろん、大きく変容を迫られたことは事実であるが、そのダイナミズムは失われなかった。最も象徴的に現れているのは、華僑や印僑の商業的ネットワークである。華僑の場合には東南アジアへ、印僑の場合にはインド洋海域周辺へと展開したが、これらは19世紀後半というヨーロッパ帝国主義の最盛期に最も伸張したとさえ言い得るのである。こうした現象は、工業化という側面だけで、経済発展を見る場合には認識できないであろう。このような新たな歴史像に立って初めて20世紀の第4四半世紀における世界史的大転換の意味を十全に理解できるのではないだろうか」。


 17世紀のアジア経済で見えたのは、国家という後ろ盾をもつヨーロッパ各国の東インド会社の活動などで、イスラーム商人、華僑、印僑などのアジア商人、ヨーロッパ人でも私貿易商人の活動、さらに東インド会社の社員がおこなっていた私貿易などは、実態としてよく見えなかった。それが、19世紀になって、交通・通信革命、近代的な金融システムの導入などで、ヨーロッパ帝国主義のもとで「見えない経済」が「見える経済」になっていった結果が、本書の成果として現れたのだろう。とすると、「長期の19世紀」でも、なお「見えない」経済が存在することが、大きな問題となる。


 本書を読むと、「アジア間貿易論」にもとづいた「新たな枠ぐみ」は、それなりに納得させられる。しかし、その基となっている「アジア間貿易論」は、本書評ブログでも取りあげたように、堀和生『東アジア資本主義史論』(ミネルヴァ書房)で激しく批判された。この批判にたいする回答を、本書に見いだすことは難しい。おもに取り扱っているのが19世紀と20世紀、「中国とインド、大国をつなぐ広域経済史」と東アジア経済史とで違うからというのは、あまり説得的ではない。


 要は、ある一定の枠をはめて議論し、「見えない」部分を無視しているからだろう。ともに、地域的には東南アジアが充分に語られていない。東南アジアは、独立を保ったタイを含め、経済的には帝国諸国に分断され、アジア経済史のなかに位置づけることが難しい。それぞれの言語に加えて、植民地宗主国の言語が違い、マクロな経済史の把握も困難である。植民地にならなかったタイは、近代的な統計資料作成の導入などが遅れ、研究の障害になっている。もうひとつ、ともに試みている節はあるが欠けているのが、ミクロ経済の把握である。わかったことから議論するだけでなく、わからないことを含め、全体像のなかで議論すると、「アジア間貿易論」の立ち位置も、より鮮明になることだろう。


 本書全体では、比較的シニアの広域マクロ経済と比較的若手の個別研究が、充分に結びついていないように感じた。個人的には、広域マクロ経済のほうから学ぶことが多かった。それは、「18世紀から20世紀にまたがる「長期の19世紀」」という時代的にも連続した視点をもっていたからのように思う。それが15~17世紀の[商業の時代]とどう結びつくのか、東南アジアのミクロ経済の把握が鍵のように思える。

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