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『僕はこんなものを食べてきた』三國清三(ポプラ社)

僕はこんなものを食べてきた

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「名伯楽名馬を知る」

 パリに長く住んでいると、何度かは三ツ星レストランに行く機会もある。しかし、日本に一時帰国した時に、日本で三ツ星級のフレンチレストランに行こうとは余り思わない。本場に住んでいるからという驕りのせいか、それとも円で考えると妙に高価に見えてしまうせいかは分らない。「オテル・ドゥ・ミクニ」の名前も、三國清三の名前も聞いていたが、自分と同じ北海道出身(しかも増毛という小さな町の)のシェフという以上の関心はなかった。

 ところが今夏札幌で会った知人から頂いた一冊の本を読んでいて、奇妙な一致に気づいた。三國は1954年生まれだからほぼ私と同じ年なのだが、彼の自伝的エッセイ『僕はこんなものを食べてきた』にこんな文がある。「額に汗してペダルをこぐ僕の脇を、近くの進学校にかよう高校生たちがおしゃべりしながらすりぬける。放課後の校庭からはテニスに興じる女子学生の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。」

 彼が中卒で札幌へ出てきて、昼は米屋で働き、夜は調理師学校へ通っている時だ。私はこの時期札幌の進学校で高校生活を送っていた。平穏無事と言えるような学生生活ではなかったが、それでも自分たちが社会的モラトリアムにいる中、大変だったろうなあと思った時、「住み込みで働いていた佐藤商店」という語句が目に入った。私の通う高校の近所にあったお米屋さんの名前だ。とすると、彼が朝晩働いている時に、おしゃべりしながらすり抜けていたのは、私たちであったかもしれない。妙に親近感が湧いてきた。

 三國はこの後札幌の最高級ホテル、札幌グランドホテルで働き始め、人並みならぬ努力をしてワゴンサービスを任されるほどになる。そして先輩の一言から発奮し、東京の帝国ホテルでパートとして働き始める。再び皿洗いと鍋洗いの日々だ。それに耐えかねて、伝説の総料理長村上信夫の「今日の料理」収録のアシスタントを勝手に務め始める。先輩たちからの叱責にもめげず鍋荒いとアシスタントを続ける。正社員として採用されない事に絶望を感じ、やめようと思っていたときに、村上からジュネーブ日本大使館付きの料理長として推薦される。

 この後も非常な努力をし、スイス、フランスの有名レストランで修行して、一流のシェフとなっていくわけだが、驚くのは村上の先見の明である。鍋荒いと収録の簡単なアシスタントだけをしていた三國を何故抜擢したのだろうか。料理一つ作って見せていないのである。三國は村上の著書『帝国ホテル厨房物語』から、こんな一節を引用している。

 「なぜ私は三國君を推薦したのか。彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。(中略)それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に『塩ふり三年』と言うが、彼は素材に合わせて、実に巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分るのだ」

何という自信と慧眼だろうか。千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらずと言うが、まさに名伯楽と言う他ない。しかも、三國の二十歳という年齢が不安で一旦は断る大使に対して、「私が全ての責任を負います。どうかこの村上を信じて三國をつれていってください。」と頭を下げるのである。三國が村上を「神様」と呼ぶのもうなずける。

 ヨーロッパでの修行時代や日本での苦労話も面白いが、何よりも三國が一流のシェフになったのは、人との出会いと自分の努力だということが良く分る。バーチャルな世界が洪水のように溢れて、ともすれば人の表面だけを見てしまいがちな昨今、地に足の付いた人生を送るために、若い人達に読んで欲しい一冊だ。


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