書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『伊藤一刀斎』好村兼一(廣済堂出版)

伊藤一刀斎

→紀伊國屋書店で購入

「パリ在住剣豪の剣豪小説」

 『伊藤一刀斎』の作者、好村兼一は私のパリのアパートから徒歩数分の所に住んでいる。大学の時にパリに来て気に入って住み着いてしまった人だが、フランスの剣道界で彼の名を知らぬものはいないだろう。剣道八段、フランス剣道連盟の顧問である。全てを剣道に捧げているといっても過言ではない生活を送っている。好村氏に処女作の原稿を見せてもらったのは、何時の事だろうか。ストーリーよりも、戦いの臨場感が鮮やかだった事を覚えている。

 『伊藤一刀斎』は一刀流の始祖である実在の剣客だが、出生等諸説あり、判然としない部分が多いようだ。しかし、剣客小説であり、伝記ではないのだから、その辺りを詮索する必要はないだろう。要は小説としての価値が大切だ。そして、まず言えることは、面白いという事だ。特に立ち合いの場面は出色だ。間を計る呼吸や、刀の動きなど、迫真の戦いぶりが伝わってくる。これはもちろん筆者が剣道八段であり、剣道を深く知りぬいているせいだろうが、文体も練れてきて読みやすくなっている。

 数年前に日本から剣道の高段者が来仏し、模範試合を演じた事がある。八段同士の試合も観戦したが、四、五段の剣士たちと違って、あまり動かないのだ。そして、われわれ素人の目には、一瞬の内に勝負がついてしまう。何が起こったのかさえ分からなかった。後で好村氏に尋ねると、高段者の試合はお互いに静かに間合いを計りながら、僅かな隙を見せて相手を誘ったりするので、一見殆ど動いていないように見えて、その実火花を散らす戦いが繰り広げられているのだと言う。凄いものである。

 また別の機会に、やはり日本から高段者が来て、キリスト教の聖地であるルルドで合宿を行った事がある。何の予備知識もないのに、列車がルルドに近づくと彼らはルルドの「気」を感じていたと、同行者が語ってくれた。武道の高段者ともなると、我々凡人には及びもつかない力を身につけているようだ。そう言えば、明治期の剣豪に、取材に来る記者の動向を遠方から察知し、大震災を一週間も前に予知していた人物がいたと何かで読んだ事もある。

 作品は弥五郎(一刀斎の幼名)が伊豆大島を抜ける所から始まる。沼津の前原に流れ着き、前原弥五郎と名乗る。三嶋神社の宮司に剣術の手ほどきを受け、鐘捲自斎と出会うことにより、その才能が開花する。一年後には師を凌ぐ力をつけるのだが、あまりにも急激に強くなりすぎる感を受ける。しかし、実際に一刀斎は強かったようだ。諸国遍歴の時も33度戦い、一度も敗れなかったというのだから。その意味で、この作品は一刀斎の強さを充分に表現している。

 強いとは言え、人間である事に変わりはない。物事に動じ、泣き、笑い、私たちと同じ感情を見せる。しかし、修行に対する貪欲さと、継続の力は驚くべきものであるし、話に引き込まれていく。頂点を極め、「一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す」という境地を手に入れて、忽然と姿を消す。誠に魅力的な人物である。楽しい作品ではあるが、筆者があとがきで「一刀斎が築いた一刀流剣術は現代剣道の根幹を成しており、極意『切落し』は今なおそこに生き続けている。」と書く時、好村兼一の姿のかなたに一刀斎の面影が浮かんでくるようだ。


→紀伊國屋書店で購入