書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『風のCafé アラブの水音』西野鷹志(響文社)

風のCafé アラブの水音

→紀伊國屋書店で購入

「洒脱なフォト&エッセイ」

 西野鷹志さんと初めてお会いしたのは、20年ほど前だろうか。日本に一時帰国した際に、当時パリで親しかったファッションジャーナリストの竹花さんの縁で、FMいるかというラジオに出演したことがあった。その関係で一度お会いしたのだが、明るく、どこか人を引きつける魅力的な印象が残っていた。

 今夏、函館の市会議員を3期務めて引退した竹花さんが、パリと縁のある人たちをお誘いして私たちのために夕食会を企画してくれた。そこに西野さんもいた。パリ好き、ワイン好きの皆さんと楽しいひとときを過ごしたが、翌朝西野さんが突然宿泊先に訪ねて来られた。ちょっとはにかみながら手渡していただいたのが『風のCafé アラブの水音』と『風のCafé 木漏れ日 函館』というご自身のフォト&エッセイ集だった。

 好きな作品を前にした時によくあるように、読むのがもったいないという感がして、パリに戻ってからゆっくりと鑑賞した。まずは写真が素敵なのだ。写真は一瞬の芸術と言われるし、確かにある「瞬間」を捉えるという面はある。だが、西野さんの写真は少し違う。ストーリー性があるのだ。一枚の写真が何かを語っているというより、前後にあるストーリーが一枚の写真から溢れてくる。

 ライカ片手に世界中を巡って撮った写真だが、例えばプラハの夜の街角。アンティックな街灯を背に歩く二人の男。どこかの酒場で一杯やってきて、自宅へ戻るところであろうか、何か楽しそうだ。彼らの話し声が聞こえてくる。話題は、酒場の看板娘の美しさか、帰りの遅い亭主に怒っているであろう女房の御し方か。とにかくこちらの想像力を刺激してくれる。『ハリーポッター』の中に、動画写真(?)のようなものが登場していたが、あれを思い出させる。とは言え、西野さんの写真の動きは、もっと繊細で幻想的だが。

 エッセイも面白い。彼の人柄が思う存分に味わえる。ミラノからヴェネツィアに発つ時にホテルのクリーニングが遅れ「洗ったばかりのパンツを振りまわして水を切り」ドライヤーで3分ほど乾かした。だが「綿パンの尻にうっすらと地図模様が浮かびあがっている。バッグで尻をかくし、蟹のような横歩きでファッションの街から水の都へ機上の人となった。」。その後に「ウィーン三百九十円、ミラノ二百三十円、ダブリン二百二十円、西安百三十円、札幌三百円。」とパンツのクリーニング代を比較し、「高いウィーンを別にすれば、国際相場は三百円以下だ。」とする。こういった良質のユーモアには、なかなか出会えない。

 コペンハーゲンモディリアーニ肖像画「アリス」に出会い「見たい見たいと願っていた画に思いがけず出会うのは、滅多にないほどのいい女に会ったごとくで、生きるのが楽しくもあり、ちょっぴり切なくもある。」と思う。香港の蚤の市で掘り出し物をあさり「土地の本来もっている匂いにふれ、歴史的にも文化的にも何らかの手掛かりを得ることがある。」と考える。蚤の市あさりの趣味がない私でも納得させられる。

 反骨精神もある。ザルツブルク音楽祭小澤征爾指揮、ウィーンフィルシューマン交響曲第二番を聴き「万雷の拍手が鳴りやまぬが、いまひとつ物足りない。小沢の熱演はオーバーで派手、作曲家の苦悩と別世界にあったと思う。棒ふりも時には控え目に。」と断ずる。付和雷同せず、自己の感覚を大切にする。小気味の良い情景だ。

 写真もエッセイも良いが、その両方を鑑賞していくと、楽しみが倍加する。下世話な例えで申し訳ないが、美味しいご飯と美味しいおかずのようで、ご飯を一口食べて味わい、それによりおかずの美味しさが引き立つ。さらにご飯が美味しくなる、という関係のようだ。楽しいひとときと満足感を間違いなく与えてくれる作品である。


→紀伊國屋書店で購入