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『社会学になにができるか』奥村 隆 編(八千代出版)

社会学になにができるか

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「読者を当たり前の世界から説いて引き剥がす一冊」

前々回(2005年11月)には、初学者向けの入門書としてお勧めの浅野智彦編『社会学が面白いほどわかる本』を取り上げましたが、少し違ったタイプのものとして挙げられるのがこの本です。



「なにができるか」という問いかけ調のタイトルには、初学者の抱きやすいその疑問に対して正面から応えよう、という生真面目な意気込みを感じますし、実際に、まるで学生に講義で語りかけるような文体になっています。各章では、自我論(1章、浅野智彦氏)、儀礼論(2章、奥村隆氏)、会話分析(3章、西阪仰氏)、ジェンダー論(4章、加藤秀一氏)、権力論(5章、市野川容孝氏)、歴史社会学(6章、葛山泰央氏)、文化装置論(7章、奥村隆氏)、世界社会論(8章、山田信行氏)が取り上げられています。

すべての章に通底するテーマは、序章で「なめらかさ」から距離をとることだと表現されています。これは、簡単にいえば、私たちが「なめらか」に社会を営むには、しばしば疑問や困難を感じずにやりすごされる前提のようなもの(当たり前にしていること)があり、そうした前提から距離をとって相対化することが社会学にできることだ、ということを意味しています。このような相対化は、社会学を特徴づけるのに基本的なことだと思いますし、実際に多くのテキストでそのように書かれています。ただ、この本の場合は、例えば、われわれが他の人間と居合わせる場でうまくふるまえることであるとか(2章、これは例えば道をすれ違う人が近づくと互いにそっと目を伏せたりすることです)、社会が「性」によって秩序だって区分されているとすること(4章)、権力は「自由」を阻むものだというイメージを持つこと(5章)、あるいは、社会を「国家」という枠組みのみによってみること(8章)といった根本的で抽象的な命題がターゲットとして選ばれ、そこから読者をいわば説得して引き剥がそうとしているような雰囲気が色濃く感じられます。当然、この説得は容易にはできないことなので、丁寧に諭すように(時にはしつこく)論が進んでいきます。

私は、これから社会学を学ぼうとする大学1年生の方々に案内するお勧め文献の中に、いつもこの本を加えています。先日、この本の序章を読んだ1年生に「どうだった?」と聞いてみると、「社会学は社会をみるための道具だっていうのが飲み込めました」という答えが返ってきました。なるほど、ふつうは「~学」というと研究対象(例えば、心理学は人間の心を勉強する学問だ、西洋史学は西洋の歴史を勉強する学問だ、等々)を思い浮かべやすいですが、社会学の場合は「社会を勉強する学問だ」とつぶやいてみても、何か釈然としませんよね。その点、「社会をみるための道具だ」と考えれば、一応の納得を得て次のステップに進めそうです。気づいてみれば当たり前ですが、そのような考えを「なめらか」に生きてしまっている私としては、少々ハッとして、そうした当たり前のことを伝えられるこの本を改めて良書だと感じたのです。

ただし、学生の中には、この本が行なう説得の丁寧さがあだになって、自分が何を説得されているのか分からなくなってしまう人もいるようです。そのような人には、まず『社会学が面白いほどわかる本』を読んで、興味のある部分については関連のある文献もいくつか読んだうえで、「では、社会学にはいったいなにができるんだろう」と考えてみたくなったところでこの本を読む、というのが私のお勧めのコースです。自分の興味のない章は捨てて、その代わりに興味のある章は少しじっくり読んでみてください。もっとも、「大学院を受験してみようかな」と考えている人は、すべての章を読むべきです。各分野の基礎的理解も進みますよ。


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