『ALS――不動の身体と息する機械』立岩真也(医学書院)
「<負け戦>を語ること――ALSをめぐる社会批判の視座」
今回はALSを社会学的に考えるうえでは基本書となる一冊を取り上げます。著者である立岩真也さんは、1960年生まれの社会学者で、現在は立命館大学大学院(先端総合学術研究科)の教授をされています。
以前の当ブログでも述べたように(2008年10月23日)、ALSという病気を文字通り治してしまう方法は現在でも現れていないものの、病気によってできなくなることを補って比較的長期にわたる生活を可能にする技術が発達してきています。例えば、わずかな筋肉の動きから操作できるコミュニケーション機器、胃ろう、人工呼吸器などです。しかし、これら装置の発達は、人々がただちにそれらを採用して長く生きるようになるという事態に、ダイレクトに結びつくわけではありません。むしろ、両者の間には大きなギャップがあるように思えます。この本は、そうしたギャップを突きつけるようにして、私たちの社会がいまだに生きやすい社会になっていないことを描き出す、一種の社会批判として位置づけられます。
ここでは「医療批判」とは言わず、「社会批判」と言っておきたいと思います。というのも、著者の立岩さんも認めていることですが、ALSの医療として実際に何が行われてきたのかという点では、患者やその家族による体験手記を中心とした文書資料に頼る分析には、自ずと限界がついてまわるからです。たとえば、患者の手記において、書き手が「逆境にめげず長く生き延びた」ことを強調したいとします。すると、「医者は『予後は3年』と言い放った」という表現で告知の一場面を描くのが効果的、ということがありえます。この場合、「予後は3年」の前後に医師が何を言ったのかは省かれているかもしれませんし、「医者」に冷ややかな性格づけを与えることが、「逆境にめげず長く生き延びた私」を際立たせることになるわけです。これはあくまでも架空の例ですが、要するに、特に体験手記などの場合、それが物語(ストーリー)としていかに成立しているのかという文脈を考慮にいれなければならないので、過去にどのような医療に関するコミュニケーションがおきたのかを示す資料としては、必ずしも無条件に第一級の信頼をおけるものではないということです。
しかし、このような方法論的制約を伴いながらも、文書資料がデータとして雄弁に語る部分があります。一つは、「家族」の位置づけに関する部分。この本では、家族は本人のよき理解者・支援者になりうる反面、「最大の利害関係者」でもあることが、明確に述べられています。確かに、自分自身にふりかかる極めて大きい介護の負担や、経済的負担、あるいはそれらの負担によって家族関係が破綻してしまうことへの恐れなどから、家族の側に「このまま気管切開しないで逝ってほしい」という心理が発生する場合がありえます(このような心理それ自体は決して非難されるべきではありません。なぜなら、そのように非難しようとするとき、「家族はたとえどのような負担や犠牲を引き受けてでも介護にあたるべきだ」という強い前提(思い込み)が既におかれているからです)。立岩さんは、そうした家族の二面性はサクセス・ストーリーとしての闘病記ではまず表れないだろうと論じたうえで、それでもその痕跡を示す少数の資料(『ALS』での資料番号【226】および【388】)を示しながら「最大の利害関係者」としての家族という――現場ではよく知られていても正面きってはなかなか語られない――事実を説得的に浮かび上がらせています。ここでは、データの<寡黙さ>が、逆に雄弁さにつながっているわけです。
もうひとつ、今度はデータの<分厚さ>が雄弁さにつながっている部分もあります。日本ALS協会の設立(1986年)に尽力し初代会長にもなった川口武久さんについて論じた部分です(同書第6章および第7章)。ここで立岩さんは、川口さんの生前に出版されたいくつかの資料から詳細に引用を重ねることで、(気管切開をともなう)人工呼吸器装着をめぐる川口さんの逡巡を、ありありと浮かびあがらせています。彼はしばしば「人工的な延命」は望まないと述べます。しかし、その一方で、当時自分が食べていた刻み食だって延命工作ではないかと人に言われると、その通りとも思います。「じつのところ、どこまでが自然の生で、どこから先が人工的に生かされていることになるのか、その境界をどこに置けばいいのか、私にはわからない」(同書資料番号【327】)。また、彼は人とのコミュニケーションがとれなくなることは耐えられないことだと語りますが、1980年代当時、意思伝達を助けるコミュニケーション機器の開発が進み、使用を始めている人もいる、ということも知っていました。さらに、彼は日本ALS協会の設立運動などを通じて、多くの人と交流して影響を与えており、そうした人の中には「私たちのためにも生き延びてほしい」(同書資料番号【374】)という人もいました。それでも、川口さんは気管切開をすることなく、1994年に亡くなります。「私は人工的な延命を受ける勇気はなく、生きがいにも乏しい。人の倍以上生きて生かされてきた体はくたくたに疲れきってしまった。……」(同書資料番号【374】)。
こうした分厚い記述と分析を通して浮かび上がっているのは、川口武久さんにとって、(気管切開のうえ)人工呼吸器をつけて長く生きる自分という存在が、どうしようもないほどに否定的なものとしてとらえられていた、ということです。先に挙げたように、「人工的な延命」だからとか、「コミュニケーションがとれなくなる」からといった理由が少なくとも論理的には成り立たないことは、川口さん自身もよくわかっていたと思われます。また、彼に向かって「生き延びてほしい」と語る人(承認を与えてくれる他者)もいました。それらのものがあってなお否定性を覆えせない生き難さが、そこにはあったのです。
立岩さんが最も力を込めて批判しているのは、以上に述べたような社会的状況において、人々が生を断念することを正当化する説明として機能する考え方です。特に、「無駄な延命はしない」(安楽死・尊厳死の安直な推奨)とか、あるいは「本人が決めればよい」(自己決定至上主義)といった考え方が、ALSの社会的文脈や特性を無視する形で結びつけられてしまうと、人々による生の断念は「それでよかったんだ」とだけ語られ、その外側にある人々の生き難さと、社会の側にある不足は、あたかもそこになかったかのように感じられてしまう危険がある――このことを立岩さんは問題視しているのだと思います。
この本で示された社会批判の視座は、ALSとその支援を社会学はいかに記述するべきか(あるいは、そうした記述を通していかに認識すべきか)について、基本的な指針を与えてくれます。川口武久さんの経験においてあれほど根強く覆しがたかった否定性は、それから20年たとうとしている今も、簡単に取り除かれているようなものではないでしょう。真摯な支援も、ある意味では<負け戦>に落ち着くことが少なくないと思われます。そのような時、私たちはついつい少数のサクセス・ストーリーに酔いやすく、また死を納得させる言説にすがってしまいがちです。しかし、そのことで、家族の二面性も、本人の生き難さも、そして社会の側にある不足も、その存在の輪郭すら与えられないままになってしまうかもしれません。したがって、社会学的記述実践として求められるのは、サクセス・ストーリーや死の納得の<外側>にあるもの――<負け戦>も含めて――にも冷静に焦点をあてながら、社会の側にある不足を浮かび上がらせるような記述実践ではないかと思うのです。