赤瀬川原平 「文化と冒険」
新宿はいちばん出やすい町だ。若いころ中央線の武蔵小金井や阿佐ヶ谷というところにずっと住んでいたので、出るとしたらまず新宿。あのころ紀伊國屋書店は一階か二階の低い建物だった。若者のサロンみたいな喫茶店の風月堂があったし、新宿第一画廊や椿近代画廊も懐しい。はじめて上京したころは都電も走っていたし、駅からほど近くに赤線地帯もあったのだ。
歌舞伎町に映画街ができて、その一館に、何か複雑な通路を通って、何かにぶら下がったり飛び降りたりしながら忍び込んだ記憶がある。その冒険がジュールス・ダッシンのギャング映画「男の争い」みたいで、どきどきした。でも上映していたのは別の映画だったと思う。
それにこじつけるわけでもないが、新宿は文化的冒険の町だ。新宿からたくさんの冒険が生まれて出ていった。
赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)
1937年、横浜生まれ。ポップアートの先駆的活動を展開し、のちイラストレーターに。『肌ざわり』(中央公論新人賞受賞)で作家活動も開始する。『父が消えた』で1981年に芥川賞、『雪野』で1983年に野間文芸新人賞受賞。近著に『昭和の玉手箱』(東京書籍)など。