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秋山祐徳太子 エッセイ

50年代後半、私は美術学生であった。戦後の状況がそのまま残っているような復興に活気あふれる新宿、友人たちと帰りに立ち寄るのが風月堂で、広い店内には新鋭画家の絵がかけられ、あちらこちらで文学論や社会分析に熱気ある議論が響いていた。我々も芸術論に唸りをあげ、しかもここは何時間居ても文句を云われることもなかった。それに劇団の新人の女性たちがアルバイトでウェイトレスをしているので、何とも居心地が良かったのである。夜になれば、バラック建ての酒場で安い酒を飲んでは、議論のつづきをしたりして、若き青春の熱を発散していたものである。そのころ新宿には売春街があって、合法的な「赤線地帯」、非合法的な「青線地帯」と称されていた。それらも売春禁止法によって、まもなく廃止されてしまった。そして、「あの青線地帯」が新宿ゴールデン街となって生まれ変わり、文化発信の地ともいえるようないろいろな文化人たちが真夜中まで飲み歩いては、派手なケンカ騒ぎも日常で、60年代から70年代にかけては、新宿フォークゲリラやついにはデモ隊が新宿駅を占拠して機動隊との激しい攻防となり、「新宿騒乱罪」が発令され、過激の街というのが定着してしまった感がある。75年、79年には政治のポップアートをかかげて、東京都知事選に立候補した私も、新宿が拠点だった。ついた名前が夜の東京都知事だった。

あれから33年、今ではなんとあのポスターが国立の美術館に収集されている。昔は新宿での待ち合わせの場所は東口二幸が多かったが、二幸がなくなった後は紀伊國屋書店前にしている。新宿唯一の知的なところだから。新宿も安全な街になった。しかし、私の心の底では、血気あふれる街を期待している。


秋山祐徳太子 (あきやま・ゆうとくたいし)

1935年東京生まれ。美術家・ライカ同盟総督。

著書に『天然老人』アスキー新書)、『ブリキ男』晶文社)など。

秋山祐徳太子

>>R70 秋山祐徳太子氏の“過激な”天然老人生活

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