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『中国が海を支配したとき』 ルイーズ・リヴァシーズ (新書館)

中国が海を支配したとき

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 鄭和の南海遠征を大きな歴史のうねりの中に位置づけた本である。著者のリヴァシーズはジャーナリストだが、中国、台湾、英国、アフリカの専門家に広く取材し、特に鄭和がゆかりが深く、養子の子孫が残る(!)南京には長期にわたって滞在したようである。先日、NHKが放映した「偉大なる旅人・鄭和」に出演していたが、あの番組は本書を踏襲した部分が大きい。

 リヴァシーズは儒教 vs 商業と、ヨーロッパの帝国主義 vs 中国の冊封体制という二本の対立軸を設定する。

 まず、儒教 vs 商業という対立軸である。

 華僑の活躍でわかるように中国人は世界でも有数の商業民族だが、その一方で商業を蔑視する儒教を生みだしている。漢以降の歴代の王朝はいずれも儒教を国教とし、儒教を修めた者の中から官僚を選抜してきた。儒教官僚は農本主義的で新奇なものを嫌い商業の野放図な活動を警戒してきた。

 例外はモンゴルの建てた元と南遷後の宋である。元が儒教を一顧だにせず東西貿易の収益を基礎にした通商帝国を築いたことはよく知られている。一方、華北の領土を失い南に移った宋は貿易収入に依存せざるをえなくなった。宋は沿岸航路を整備し、強大な海軍を作って貿易を保護した。リヴァシーズは宋代の新儒教には商業利潤を正当化する努力が見られるとしている。

 リヴァシーズはまた朝貢とは儒教官僚の反対を押し切って貿易をするための方便だとしている。夷狄が天子をしたって貢物をもってきたのだから、中華文明の精華を下賜してやるのだという名目にすれば、儒教の徒としては反対するわけにはいかなくなる。

 しかし儒教の側からは絶えず反商業の強い力が働いていた。永楽朝の積極外交の担い手はいずれも宦官であり、朝貢貿易は宦官勢力の利権になっていた。儒教官僚対宦官という権力闘争を念頭におけば、鄭和の遠征の記録が隠滅された経緯が理解しやすくなる。

 一方、ヨーロッパの帝国主義 vs 中国の冊封体制という対立軸はNHKの番組がもっとも力をいれて描いた部分である。鄭和の遠征は明の皇帝に対する形式的な臣従をもとめただけであり、見返りに絹や磁器のような貴重な宝物をふんだんにあたえたのに対し、貧しいヨーロッパ人は武力で土地を奪い、アラブ商人やユダヤ商人の支配していたインド洋交易圏を解体して、沿岸の文明に致命的な打撃をあたえた。鄭和の平和的な外交とは大変な違いだというわけだ

 しかし中国は南シナ海での無法な島嶼強奪やインド洋周辺に対する軍事進出、アフリカでのなりふり構わぬ強奪を押し進めている。NHKはそうした事実を隠し、歴史ロマンの外観で中国の侵略を美化している。

 リヴァシーズは中国の貿易の裏面を指摘することを忘れてはいない。唐代以来、裕福な家ではアフリカ東海岸から連れてきた黒人奴隷(鬼奴)を門番にする例が多かったが、彼らは牛馬なみにあつかわれ寿命は短かった。鄭和の航海はすくなくともNHKが褒めちぎるような美しいものではなかったようだ。

 鄭和後の朝貢体制の頽廃も深刻だ。リヴァシーズはこう書いている。

 朝貢貿易体制の箍は少しずつゆるみはじめていた。外国使節団が山のような朝貢品をたずさえてくることはもはやなかったし、かたや皇帝の方も下賜品をいちいち出し渋るようになった。また、「使節団」とはいいながら、その正体はこれまでになく怪しい者が多くなっていた。中にはあきらかに盗人か密輸業者としか呼べない者も混じっている。さらに、地方の官吏や商人たちまでが貿易による膨大な利益のうわまえをはねようと狙い、北京に運ばれる朝貢品を堂々と横取りしていった。

 『1421』のメンジーズは、紫禁城焼亡という凶事がなければ、鄭和の艦隊がヨーロッパにあらわれたり、あるいはすくなくとも、インド洋を睥睨しつづけ、ヨーロッパ人の覇権を阻んだろうと惜しんでいたが、どうもそういうロマンチックな推測はなりたたないようである。中国の大航海時代はしかるべき理由があって幕を閉じたと考えた方がよさそうである。

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