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『北朝鮮飢餓の真実』 ナチオス (扶桑社 )

北朝鮮飢餓の真実

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 1990年代後半の北朝鮮の飢餓をあつかった、今のところ、唯一の研究書である。萩原遼氏の『金正日 隠された戦争』で重要な論拠の一つとして言及されていたので読んでみたが、徐々に明かになっていく飢餓の実態に鳥肌が立った。

 著者のナチオスはギリシャ系アメリカ人だが、第二次大戦中、ギリシャに残っていた伯父がドイツ軍の食糧徴発のためにおきた飢饉で餓死したことから、人道援助の世界に進んだという。ワールド・ヴィジョンというNGOで長年活動し、2001年5月から2006年1月まで、ブッシュ政権で国際開発庁(USAID)長官をつとめていた。アメリカでは在野の大物が政府高官に任命されることがよくある。原著は長官在任中の2001年12月に出版されている。個人の業績とはいっても、ホワイトハウス中枢の了解をえていたと考えるのが自然だろう。

 ナチオスは1997年6月に北朝鮮を訪れている。まず平壌保育所に連れていかれ、アフリカの飢餓地帯でもめったにいないガリガリに痩せた子供を見せられたが、立ち入り禁止の部屋に勝手にはいると、栄養状態がよく、清潔な衣服を着た子供たちがいた。予定のなかった高校の視察を強硬に申しいれて実現させたが、千数百人いる生徒はみな普通に成長していて、栄養失調の徴候を見せているのは数人にすぎなかった。

 次に洪水の被害のひどかった煕川という工業都市に連れていかれるが、途中、おびただしい女たちが野草の根を掘りおこしている光景を目撃する。煕川の幼稚園と中学校で見せられた子供はひどい飢餓の徴候を見せていたが、校舎の窓に群がっている子供たちの栄養状態は良好のように見えた。

 ナチオスは混乱する。数多くの飢餓地帯を見てきた彼から見ると、北朝鮮は不自然なことだらけだった。保育所や学校の視察からすると、北朝鮮が飢饉を誇張している疑いが強いが、そうなると、スーダンソマリアよりも悲惨な子供たちはどこから連れてきたのか。一方、荒野で野草の根を掘りおこす女たちは飢餓の明白な徴候だった。北朝鮮は飢饉を誇張しているのか、隠しているのか。

 ナチオスによれば、北朝鮮入りした外国のNGO関係者はみな、同様の疑いをいだくという。外国人の目からは飢餓は巧妙に隠されており、北朝鮮で活動する援助関係者の中には飢饉は誇張だと考える者や、「平等主義的な国の分配制度を崇めたてまつる者」まだいる。彼らは市民の自由が圧迫されている現実に困惑しながらも「でも、誰も餓死していない」と北朝鮮を弁護しているという。

 ナチオスは翌年、中国側国境地帯を訪れ、多くの脱北者から聴取した結果、「二つの北朝鮮」があると確信する。エリートの住む「平壌北朝鮮」と、それ以外の国民が住む「もう一つの北朝鮮」だ。すこし長いが、二つの北朝鮮を発見した驚きを記した部分から引用する。

 平壌は他の都市よりはるかに多くの穀物支給を受け、ここで住居を与えられることは、政府に対するよき振る舞いと忠誠心への報酬だとみられている。北朝鮮アナリストのドン・オーバードーファーは、首都における人口浄化について次のように書いている。「外国の外交官の話では、国民は定期的に審査され、病気や高齢、もしくは障害のある者は、政治的に信用できないと見なされた人々と共に平壌から追い出されていた」。これは確かに長年平壌に住んでいたロシアの外交官が私に話してくれた内容と一致する。彼は「中央政府は毎年一万人余りの厄介者を首都から地方に追放し、ちょうど同じ数の人々を体制に対する忠誠心への報酬として地方から首都に連れて来るのだ」と語っていた。また同様に一九九八年、「アジア・ウォッチ」の人権レポートは、「小人や見るからに障害を持った人々は、定期的に駆り集められ、北東部の遠隔地に追放された」と報告している。北東地域で活動していたあるNGOは、異常なほど高い割合で障害者や小人が集まっている都市を実際に見ており、この報告の信憑性を確認している。

 もう一つの北朝鮮とは、このようにして追放されたあらゆる人々が暮らしているところ、つまりマルクス主義者のパラダイスである平壌のきらびやかさを維持するための場所である。……中略……悲劇的な現実だが、それは外部の者からは巧妙に隠されている。

 平壌がエリートしか住めないショーウィンドー都市であることは日本では常識だが、欧米では北朝鮮と係わっている援助団体関係者でも知らないらしい。

 ナチオスが本書を書いたのは北朝鮮では確かに飢饉が起こっており、しかも特定地域が切り捨てられ、餓死者が集中的に発生しているという事実を知らせるためである。彼は一番深刻だった1996年から1997年の期間でも、食糧がすべての国民に平等に配給されていれば餓死が回避される可能性があったが、政治的理由でそうはならなかったと指摘し、こうつづけている。

 中央政府は食糧配給において一九九五年と一九九六年に、政治的理由でいくつかの恐ろしい決断を行っている。第五章で詳しく説明したように、第一には、東側の港への全ての食糧輸送を中止したのである。第二には、状況証拠しかないものの、一九九六年の悲惨な収穫の直後に、北東部以外の地域にも一時的に公的配給制度を中止したと思われるのだ。米国平和研究所のスコット・シュナイダーは一九九七年六月に中国側国境地帯を訪問し、一九九六年の収穫期直後の三カ月の間、食糧価格と死亡率も急激に上昇している逸話的報告を収集している。通常では、収穫後は食糧価格も死亡率も減少する傾向がある。

 東側の港とは咸鏡道の羅清港を指す。咸鏡道に対して配給を停止していた期間があり、当然、餓死者が集中的に発生した。この事実は日本ではほとんど知られていない。

 ナチオスは配給量が7段階にわかれていることも指摘している。もっともすくないのは強制収容所の囚人で、1日あたり200gにすぎない。未就学児童は200~300g。高校生・身体障害者高齢者は400g。大学生・軍人・軽工業従事者・平壌市民は700g。上級将校と非武装地帯勤務の軍人は850g。鉱山労働者・国防産業従事者は900g。その上に幹部が来る。配給の平等性は見せかけにすぎない。次の一節は重要である。

 マルクス主義体制では財産の蓄積が困難なため、従来の農民市場経済とは全く異なるルートで飢饉の犠牲者に影響が及ぶ。財産が蓄積できない代わりに、政治的に権力を持つ者は国家の資源にアクセスしようとする。これらの物資やサービスへのアクセスは財産の所有と同等であるため、朝鮮労働党のエリートやその家族は危機の間も飢饉の危険性から保護される。

 財産を平等にしても、もっと不透明でひどい格差が生まれるのである。北朝鮮社会主義から逸脱しているという人が多いが、あの体制こそ、ある面で社会主義の典型というべきだろう。

 本書は教えられるところの多い重要な本だが、日本に関する記述では首をかしげたくなる部分がないではない。たとえば、ナチオスは日本が北朝鮮に対する食糧援助を減らした原因として、拉致問題と日本人妻里帰り問題をあげ、10年以上前に起きた拉致問題が1997年に再浮上したのは北朝鮮を窮地に追いこむための韓国情報部による陰謀という説を信憑性の高い説として紹介している。日本人妻里帰り問題についても、日本人妻が北朝鮮にわたった経緯を知らないのではないかと思わせる部分がある。北朝鮮問題にとりくんでいるブッシュ政権の高官にしてこれでは、日米の情報ギャップは深刻といわなくてはならない。

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