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『文学全集を立ちあげる』 丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士 (文藝春秋)

文学全集を立ちあげる

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 文学全集は長らく出版社のドル箱だった。最初の文学全集は大正15年(昭和元年)に改造社が出した『現代日本文学全集』だったが、36万部という大成功をおさめた。以後、文学全集は出版社を潤しつづけたが、高度経済成長時代が終わると急に売れなくなり、昭和天皇崩御した年に刊行のはじまった『集英社ギャラリー・世界の文学』が最後の文学全集となった。どうも文学全集は昭和という時代の産物だったらしい。

 本書は過去の遺物となった文学全集をヴァーチャルに作ってみようという鼎談である。半分は遊びだが、半分は大真面目のようだ。というのも、文学全集に収録する作品を選ぶことは、文学のカノン(正典)を定めることだからだ。文学全集の編集はすぐれて批評的な行為なのである。

 ヴァーチャル編集委員会の委員は丸谷才一鹿島茂三浦雅士の三氏で、顔ぶれから予想されるように、従来の文学全集を支配していた19世紀文学的な求道性から離れた、新しい基準で選ぼうとしている。

 本書は「世界文学全集編」と「日本文学全集編」にわかれ、それぞれの末尾に巻立てリストがついている。

 三氏の鼎談で作品を選んでいるわけだが、言いたい放題で、実に楽しい。「コバルト文庫」の第一作は川端康成の『夕映え少女』だったというようなトリビアがふんだんにちりばめられているし、『土佐日記』にはじまる王朝日記文学の展開は、手塚治虫のはじめた少女マンガが女性マンガ家に引き継がれて発展するのとパラレルだというような、はっとするような新説がばんばん出てくる。一見冗談のようでも、よくよく考えると正鵠をいている指摘がすくなくない。

 しかし、なんといってもおもしろいのはゴシップと悪口だ。20世紀以降をあつかった部分(164ページ以降)は抱腹絶倒で、電車の中で読んでいて、笑いをこらえるのに苦労した。

 選定の結果は世界編133巻、日本編172巻、合計305巻という豪勢なものになったが、厖大な分量からいっても(本棚三棹は必要だ)、高級すぎる内容からいっても、絶対に商売にならないだろう。

 高度経済成長後に文学全集が凋落したのは求道性が嫌われたからだという指摘は正解と思う。貧しかった頃の日本で文学全集が売れたのは、求道性が歓迎されたからだ。文学全集の読者が求めていた教養は、求道性と結びついた教養だったのである。

 だが、求道性が売物にならなくなったからといって、求道性に代わる売りがあるだろうか。求道性が嫌われるようになるとともに、教養まで嫌われるようになったのが現在の日本ではないのか。大学の文学部に学生が集まらなくなったのは、求道性に代わる教養の新しいイメージを打ちだせなかったからだと思うのだ。

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