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『残骸』 リュシアン・ルバテ (国書刊行会)

残骸

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 第二次大戦勃発前後の二年間のフランスを極右の立場から描いた年代記である。執筆したのは極右雑誌「ジュ・スィ・パルトゥ」の編集幹部であり、二十世紀文学の至宝というべき『ふたつの旗』を書いたリュシアン・ルバテである。

 フランスは開戦後、あっけなく敗北して北半分をドイツに占領され、南仏に親ドイツのヴィシー政権がつくられるが、本書はフランス政界と言論界の情けない内情を暴き、痛罵している。「ジュ・スィ・パルトゥ」は右翼指導者シャルル・モーラスが主宰した「アクション・フランセーズ」傘下の雑誌であり、ルバテ自身、「アクション・フランセーズ」の音楽欄でジャーナリストとしての経歴をはじめたが、恩のあるモーラスに対しても内情暴露と容赦のない批判をおこなっている。キワモノといえばキワモノであるが、痛快にはちがいなく、ヒムラーの推薦文つきでドイツ占領下のパリで上梓されるや、たちまちベストセラーになったのも不思議ではない。ルバテはナチスに協力したのみならず、フランス右翼の精神的支柱だったモーラスのボケ老人ぶりを暴露したために、右翼の間でも呪われた人物になっているという。

 日本の右翼はアメリカとの関係でねじれているが、フランスの右翼もドイツとの関係では相当ねじれている。日本の右翼はもともとは反米だったが、アメリカ軍占領下でほとんどが親米に転向する。軸となったのは反共イデオロギーである。反共という共通点を大義名分に、右翼はアメリカ軍への協力を正当化したのである。

 フランスの右翼にも似たような事情があった。フランス右翼はもともとドイツに対する敵愾心が根強く、イタリアやスペインと結んでドイツの汎ゲルマン主義に対抗しようという方向性をもっていた。ルバテも例外ではなく、ムッソリーニの支持のもとにフランスでファシスト革命を起こし、イタリアとともにドイツに対抗しようとしていた。しかし、開戦一ヶ月であっけなくドイツの軍門にくだると、反ユダヤ主義を口実に親ドイツに転向する動きが出てきた。もっとも対独協力には温度差があり、中にはレジスタンスに参加する右翼もいた。

 ルバテは異色である。彼はフランスがドイツに敗れる前から、ドイツとの連繋を説いていたからだ。彼は反ユダヤ主義においてはナチス以上に過激であり、そのためにフランス解放後、死刑判決を下されることになる。

 本書の巻末に収録された「日曜日に銃殺はない」は恩赦後に発表された獄中記である。死刑判決を受け未決房から死刑囚の房に移された日から、減刑されて一般房に移るまでの140日間が描かれている。獄中記はおもしろいものが多いが、本篇も例外ではない。

 死刑囚の待遇は未決囚とは較べものにならないくらい厳しかった。就寝中も含めて足に鎖を24時間つけていなければならないし、一日の最後の点検時には上着とズボンを没収された。独房の中は霜が降りるほど寒く、春になって気温が上がると結露がはなはだしく、蒲団がびしょぬれになった。

 ルバテは弁護士から看守まで、みな減刑されるからと請け合ってくれたし、妻の尽力で多くの作家が、本書で罵倒された作家も含めて、減刑嘆願書を書いてくれたが、同じ罪で死刑判決を受けたロベール・ブラジャックは銃殺されており、安心できる状況にはなかった。特に第四共和政成立後、最初の司法評議会が開かれた後の二日間は銃殺を覚悟していた。

 ルバテは終身刑減刑後、5年服役して恩赦で釈放されるが、その間に『ふたつの旗』を完成させている。

 『ふたつの旗』は文庫本に換算すると2000ページを越える大長編だが、出来事らしい出来事はほとんど起こらず、ケータイ小説流の書き方なら50ページかそこらでおさまってしまうだろう。あのような超時代的な小説を苛烈な現代史の当事者が書いたとは本当に驚きである。

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