『奇妙な廃墟』 福田和也 (国書刊行会)
リュシアン・ルバテの『ふたつの旗』と『残骸』は、フランス文学史から抹殺された
セリーヌやルイ・マル監督の『ルシアンの青春』くらいしか知らなかったので、対独協力はルンペン・プロレタリアートの鬱憤晴らし程度にしか考えていなかったが、本書を読むとそんな単純ではなく、実にさまざまな立場があったことがわかる。対独協力の度合いもさまざまだ。多くはフランスの秩序を守るために消極的に協力したのにとどまるが、ルバテのように積極的に協力した者もすくなくはなく、絶望的なロシア戦線に自ら志願し、全滅した部隊もあった。
立場がさまざまといっても、共通する思潮はある。著者はそれを反近代と反ヒューマニズムの二つに要約している。
反近代と反ヒューマニズムというとアナクロニズムのように聞こえるかもしれないが、著者はアクチュアルな問題であることを示すためにハイデガーを補助線にする。戦後のフランス思想はブランショからデリダにいたるまでハイデガーを源泉として展開されているが、ハイデガーこそは反近代と反ヒューマニズムの大宗であり、ナチスとの関係もファリアスの『ハイデガーとナチズム』によって証明されている。
ハイデガーはナチスに入党しフライブルク大学総長に就任したものの、わずか9ヶ月で辞任したが、それはナチスに利用されていたことに気がついたからではない。ナチスに利用されるどころか、ハイデガーはみずから進んでナチスに接近したのであり、なかんずく世直し志向の強い突撃隊に加担した。ハイデガーが総長の職を辞し、ナチスに距離をおくようになったのは、その突撃隊がヒトラーによって粛清されたからにほかならない。突撃隊粛清をクライマックスにしたヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』では粗暴でダサい乱暴者の集団のように描かれていたが、突撃隊には突撃隊の思想があり、ハイデガーはその思想に共感していたのである。
著者はこう書いている。
ハイデガーの哲学的立場は近代的な価値を相対化しようとしたシャルル・モーラスやコラボ作家たちの反近代主義とそれほど遠いものではなく、現在ではこのハイデガーを通して、コラボの文学者とブランショは、そして戦前フランスの反近代主義と戦後の思想はつながっていると考えられる。
そして、もし、対独協力というスキャンダルによってフランス土着の反近代の系譜が表舞台から追放されることがなかったら、フランス現代思想は現在とは異なった様相になっていただろうとしている。
セリーヌとルバテ以外は読んでいないので、対独協力作家がハイデガーの代わりになりえたかどうかの判断は保留するが、本書で紹介された作家が魅力的なのは確かである。ドリュ・ラ・ロシェルの『ジル〈上〉・〈下〉』とブラジャックの『七彩』は読んでみたい。
最後に「1945:もうひとつのフランス」のラインアップを紹介しておく。興味のある人はなくならないうちに買っておいた方がいい。