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『中国動漫新人類』 遠藤誉 (日経BP社)

中国動漫新人類

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 日本のアニメとマンガは今や世界中で注目されているが、特に子供向けの娯楽のすくなかった中国では爆発的に流行し、中国政府があわてるほどの影響力をおよぼすようになったという。

 表題の「動漫新人類」とは日本アニメと日本マンガを幼い頃から浴びるように見て育った中国の「80后」(1980年以降に生まれた世代)をさす。彼らは江沢民愛国主義教育の申し子で、時として過激な反日行動に走るが、その一方、かつてないほど日本文化に影響された世代でもあるのだ。極端な反日親日がどうして中国の若者の心の中に同居しているのか。本書は若者の日本動漫熱という視点から中国の反日の行方を見すえた本である。

 著者の遠藤誉氏は1941年満洲生まれの女性である。1953年に一家で帰国するまで中国で育ち、小学校で共産主義教育を受けた。成人してからは物理学の道に進み、筑波大と帝京大で教鞭をとったが、中国への思いから中国人留学生を担当したり、日本から中国に留学する学生のために『中国大学全覧』の編集にたずさわるようになった。

 著者は仕事柄多くの中国人学生に接していたが、1990年代半ばからある変化に気づいたという。それは日本動漫への熱中と愛国心の希薄化だ。以前の留学生は燃えるような愛国心と祖国を発展させようという使命感にあふれていたが、1990年代後半以降に日本にやってきた留学生は、愛国主義教育を受けているはずなのに、そして時として過激な反日的言動や行動に走ることがあるのに、日常ではクールな「現代っ子」になっていて、中国という国家を突きはなしてみるようになっていたのだ。

 著者はこうした中国の若者の気質の変化と日本動漫の流行が関係があるのではないかという仮説をいだくようになり、2005年から本格的な調査に着手した。その成果をまとめたのが本書である。

 この調査のために著者は『スラムダンク』を全巻読破したり、『セーラームーン』のDVDを最後まで見たり、ネットの掲示板をのぞいたりして、サブカルチャーの勉強をはじめたという。

 本書が貴重な試みであり、中国サブカルチャー情報の宝庫であることを評価した上で言うのだが、還暦を過ぎてからのにわか勉強は無理があったようで、首をかしげたくなるような記述がすくなくない。

 たとえば小泉首相靖国参拝を機に中国で反日気運が盛りあがり、中国人クラッカーが日本のサイトを攻撃した事件。

 そして2001年2月16日18時、当時の小泉首相靖国参拝と教科書問題を受けて、この「中国紅客聯盟」は、日本の中央行政官庁や議員あるいは日本の大企業やNTT等に関して、一気に激しいハッカー攻撃を開始した。そのハッカー行為は約10日間に及び、これら日本国家の生命線のようなサイトには、真っ赤な五星紅旗がヒラヒラとたなびき、ほとんどのパソコンの画面は赤旗で占領されてしまったのである。

 確かに中国からのDDoS攻撃でダウンしたサイトはすくなくなかったし、ホームページが改竄されたサイトもいくつかあったように記憶している。しかし、改竄されたといっても反日メッセージが書きこまれる程度だったし、それもすぐに修復され反日メッセージを目にした人はほとんどいなかった。まして「真っ赤な五星紅旗がヒラヒラとたなび」くというような派手なクラッキングなどはなかった。もしそんなことが起こっていたら、ネットは盛大な祭りになっていただろう。

 推測だが、中国のネットワーカーの間では「戦果」が白髪三千丈的に誇張されて語りつがれていて、当時の事情を知らない著者はそれを鵜呑みにしてしまったのではないか。

 日本アニメにボランティアで字幕をつける「字幕組」の活動をコミケの同人誌をやっている日本のマンガファンと「非常に似通っている」とするのも的外れだ。「字幕組」に相当するのは「字幕職人」と呼ばれる人たちである。

 また、ただ同然で手にはいる海賊版が日本動漫の普及の鍵となったという仮説を著者は世に受けいれられにくい大胆な仮説と考え、慎重に論証を進めているが、パソコンの歴史をふりかえれば自明のことであって、何をそんなに身構えるのかといぶかしく思った。もっとも、そのおかげで『海外における著作権侵害の現状と課題に関する調査研究』という統計を発掘することになったのだが。

 この統計もそうだが、著者はサブカルチャー理解の不足を補うために数字にこだわっていて、本書にはアニメやマンガに関する多くの統計が集められている。サブカルチャー定量的な研究として、本書は後世に残るだろう。

 だが、本書の一番の読みどころはそこではない。日本動漫は入口にすぎず、本書の考察はさらに深いところに届いているからだ。

 日本動漫は1990年代に中国の子供たちの間で大ブームとなるが、この時期は江沢民政権によって愛国主義教育が徹底された時期でもあった。日本動漫ブームと愛国主義教育はたまたま時期を同じくしたのではなく、実はつながっていた。両者とも1989年の天安門事件の産物だったからである。

 中国では日本のアニメは1981年に解禁された。1980年代は改革解放の時代であって、西側の文化全般に門戸が開かれ、日本動漫の解禁もその一環だった。

 しかし、西側文化の流入は若者たちの意識を変え、民主化運動を生んだ。その結果が1989年6月4日の天安門事件である。

 民主化運動を大虐殺で抑えこんだ中国共産党は西側文化による若者の精神汚染を警戒し一度開いた門戸を再び閉ざしたが、日本動漫だけは規制されなかった。たかがマンガ、たかがアニメと油断したからである。

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