書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『売国奴』 黄文雄&呉善花&石平 (ビジネス社)

売国奴

→紀伊國屋書店で購入

 中国、台湾、韓国から日本に留学し、そのまま日本にとどまって、著述活動をつづけている三人の論客による鼎談集である。座談の記録なのですらすら読めるが、語られている内容は深く、時に腕組みをしながら読んだ。

 「売国奴」という表題は穏やかではないが、母国の側から見れば、日本から母国批判をおこなっているのだから、立派な売国奴である。黄文雄氏は台湾が民主化したので売国奴とは呼ばれなくなったが、韓国出身の呉善花氏と中国出身の石平氏は今現在、売国奴呼ばわりされているそうである。

 中国も、台湾も、韓国も、日本も漢字文化圏であり、漢語を基礎とする共通のボキャブラリーをもっているが、実はこの共通のボキャブラリーが曲者である。なまじ共通であるために、誤解が生じるからだ。

 たとえば「国家」という言葉である。日本人はごく当たり前に、近代的な国民国家の意味に解するが、他の国ではなかなかそうはいかない。

 たとえば、近代以前の中国には、今の日本人が考えるような「国家」概念は存在しなかった。中国人の念頭にあったのは「国家」ではなく、中原を中心とする「天下」という世界であり、天下観はあっても国家観はなかった。

 「国家」は『易経』に出てくる古い言葉だが、『易経』の中の「国家」とは朝廷のことであって、国民は含んでいない。杜甫の「国破れて山河あり」の「国」も朝廷を意味していた。

 そもそも中国には国名がなかった。秦や漢、明は王朝名であり、支那は地域名だった。清末になって、天下が全世界を覆っているのではないと気がつき、国名をどうしようという議論になった。その時、候補にあがったのは「大夏」、「夏華」、「中国」に三つで、三番目の「中国」が選ばれた。天下から近代的な国家にいかに転じるかが、中国近代知識人の思想的課題だったのだという。

 儒教思想も近代国家「国家」概念の定着を危うくしている。

 儒教の影響が中国よりも強い韓国では「孝」を最上位におくために、「国家」への忠誠という概念がなかなか受けいれられなかった。

 日本の場合は、ヨーロッパと同じように、戦士階級による中世的支配の期間が長かったので、先祖に対する「孝」よりも主君に対する「忠」が優先されるようになり、それが「国家」への忠誠に発展したが、韓国では「孝」の優位が崩れなかったので、家族の拡大版としての「国家」概念しか生まれなかった。

 微妙な話なので、呉善花氏の発言を引こう。

「というより、近代国家を形成するにあたって、どうしても家族への孝を国家への孝へと本格的に拡大する考えの必要性が生じたわけです。そういう孝の価値観による以外に、国家への忠誠というモラルを生み出すことができなかったんですね。孝を超える忠ではなく、国家への孝が忠となるということです。

 私が家の父に対して親孝行する、それを民族的に拡大したところで大統領が体現している国家に対して孝を尽くす。本来は家族と国家は次元の異なる世界なのに、韓国では連続するひとつの世界であるかのように感じてしまうんです」

 このように説明してもらうと、韓国の歴代大統領の身内が懲りもせずに汚職をする理由も、北朝鮮金正日のことを「情愛あふれるお父様」と呼ぶ理由も、なるほどと納得できる。

 国家観が違うのだから、「売国奴」概念も日中韓で相当な隔たりがある。

 日本では「売国奴」は数ある悪口の一つにすぎないが、中国や韓国では泥棒呼ばわりされるよりもひどい、全人格を否定する最大級の罵倒語なのだそうである。

 中国ではもともとは「売国奴」ではなく「漢奸」(漢民族への裏切者)と言った。ところが天安門事件以後、「漢奸」という言葉を避けて、もっぱら「売国奴」と言うようになった。

 理由は少数民族問題だという。「漢奸」の代表としては女真族の建てた金朝と屈辱的な条件で講話を結んだ南宋の秦檜などがいるが、現在の中国では女真族も中国人なので「漢奸」は具合が悪いのだそうである。

 一方、韓国ではアメリカや中国の味方をして韓国を批判しても「売国奴」呼ばわりされることはなく、もっぱら日本限定だそうである。「日本を評価して韓国を批判することが売国奴となる」というのだ。

 反日の行方についても、中国と韓国ではずいぶん違う。中国共産党は時代時代によって「敵」をころころ変えてきた。最初は地主階級だったが、途中から国民党とアメリカになり、ソ連になり、日本になった。天安門事件以後の中国共産党は、抗日戦争を戦って民衆を救ったということにしか正統性の根拠を主張できなくなった。だから、中国共産党が潰れれば、中国の反日は消えると石平氏は言う。

 一方、呉善花氏は反日は韓国人のアイデンティティの一部になっているので、未来永劫絶対になくなることはないと語る。剣呑な隣国を持ってしまったものである。

→紀伊國屋書店で購入