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『狩りをするサル』 クレイグ・スタンフォード (青土社)

狩りをするサル

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 『ヒトは食べられて進化した』は、初期人類は集団による狩りを通じて認知能力や言語を発達させたというヒト=狩人説を完膚なきまでにやっつけたが、否定する立場の本だけでは片手落ちなので、ヒト=狩人説をもうすこし知りたいと思った。"Man the Hunter" を今さら英語で読むのは億劫なので、本書を手にとってみた。

 本書の内容は予想とは違った。著者のクレイグ・スタンフォードは東アフリカをフィールドにするチンパンジー研究者ということだが、"Man the Hunter" のような古典的なヒト=狩人説はもはや不可能と見切り、新しくわかった事実と矛盾しないようにヒト=狩人説の修正を試みているからだ。

 古典的ヒト=狩人説の難点は狩猟の獲物はわずかだったことにある。初期人類はもちろん、現生人類でも肉食はたまの御馳走でしかなく、主食は依然として植物食だった。脳を巨大化させるためには肉というる高カロリー食物が不可欠だとする説もあったが、濱田穣の『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』は脳の巨大化には肉食が必ずしも必要ではないと指摘している。

 スタンフォードは肉食がたまの御馳走だったという点に注目する。彼は総摂取カロリーの中で肉食の占める割合が微々たるものだったことを逆手にとり、肉食には稀少価値があったとする。肉は「稀少な資源」、「社会的通貨」であり、それをメスに分配する権限をもったオスは子孫を残す機会が増えるというわけだ。

 分配するといっても、チンパンジー社会は微妙なバランスの上に成りたっており、αオスといえども独裁者ではありえない。初期人類もそうだったろう。肉の分配には知恵を絞らなければならず、それが知能と言語の発達を促したというわけだ。

 スタンフォードは書いている。

 肉食行動は、人類や他の霊長類社会では、栄養と同時に政治に関するものである。貴重な資源のコントロールは、権力に関するものである。両性が権力争いに係わっている場合、物理的に優位な性は、しばしば資源をコントロールして、したがって、同様にメスの繁殖をコントロールする。性的な政治は、チンパンジーの肉食行動において、ちょうど、いくつかの伝統的な人類社会における様に主要な役割を果す。哺乳類の肉が頻繁に採食される、ほとんどすべての人類と人類以外の霊長類社会では、オスがメスより頻繁に肉となる動物を狩猟するので、両性間の関係は、肉の捕獲と分配行動の需要部分である。

 訳文が稚拙なので一回読んだだけではわかりにくいかもしれないが、肉という御馳走の分配権を握ったことでオスの優位が確立し、ひいては家父長制が成立したというのがスタンフォードの修正版ヒト=狩人説の要点である。

 おもしろい着眼だとは思うが、サバンナにおける初期人類の無力で哀れな立場を考慮していないのではないか。スタンフォードチンパンジーや現代の狩猟採集民の観察をもとに推論を進めているが、チンパンジーは安全な森に住んでいるし、現代の狩猟採集民は洗練された武器を手にしている。猛獣の徘徊するサバンナに、石や棍棒程度の武器で放りだされた初期人類に肉の分配に頭を使っている余裕があっただろうか。現生人類もつい最近まで似たような境遇にいたはずである。

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